キャミソール、OH!キャミソール

 ここんとこ流行ってるキャミソールについてどう思うかってことだけど、え、誰もそんなこときいてないって? まあ、いいや。ついでだから言っとくけど、オレは特にキライじゃないよ。そいつが蛾の模様じゃなければね。

 その日はやけに疲れていたので、地下鉄の吊革につかまってボヨンボヨンしてたら、前の席に座ってたオヤジが急に立ち上がったんだ。で、すかさずオレは座ろうとしたんだけど、驚いて飛び上がっちまった。座席に直径15センチもあるかっていう蛾がへばりついてやがったからだ。なぜ地下鉄にこんなデカイ蛾がいるのか分からないけど、どこからかさまよってきたのが、さっきのオヤジの尻にふまれたんだろう。
 どういう感じかというとだな、
 「ブチュー!」
 ひゃあ、危なかった、と胸をなで下ろしていると、すごいスピードでコギャルがクルクル回ってきて、「超ラッキー!」ってそこに座っちゃったんだよ。
 ああ、危ないよ!
言おうとしたけど、間に合わなかったのさ。
 すると今度はその彼氏らしき、白痴みたいな顔した男がヘラヘラやってきて、あろうことか、彼女の膝の上に乗っちまったんだよ! 3つ先の駅で二人は降りて行ったんだが、彼女のステキなキャミソールには巨大な蛾がくっついたまんまになっていた。
 まあ、そういう柄だといえば、そうも見えたけどね。


 外国人クルー珍道中

 築地市場には毎日のようにテレビ局の取材が入る。仕事柄、彼らの対応をすることが多いんだけど、今回は3人の外国人クルーに朝の市場を案内することになった。
 「はい、混雑してるから気をつけてちょうだいね!」
 「パパラピリカカラキリカポネマカロニヤン」
 「パパラキピリアララマラゲニヤトロロスパゲティ」
 「オー、マイガッ」
こいつら、何言ってるのか分からねえよ。
 「メカジキ、いつから観光ガイドになったんだ」
 「おおキハダか。いやテレビ局の取材でさ、これからセリ場を見せてやるんだ」

 「ふーん、面白そうだからついていこう」

 「コレハ、ナンデスカ?」
 「これはクロマグロだ。ニッポンじゃあウタマロって呼んでるけどな」
 「オー、ウ・タ・マ・ロ!」
 「ファンタスティック!」
 「オー、マイガッ!」
 「おい、いいかげんなこと教えるなよ……な、何だこの外人。何しようってんだ。ダメだよ、持ち上がらないよ。そりゃ100キロもあるんだから……」
 「WOOOOOOO−!!!」
 「いや……す、すげえ、持ち上げたよ。プロレスラーかこいつは。それでどうしようってんだ。あー、撮ってる撮ってる……変わったテレビ局だね、どうも」

 「大自然のぉ偉大さに思わず胸がうたれますぅ……」

 「コノヒト ダレデスカ?」
 「見てのとおり、立松和平のマネをするマグロ屋のオヤジだよ。いいの、いいの撮らなくて。あまり似てないんだから」
 「おい、これ食ってみろ、珍味だぞ。そっちのメリケンたちも食え」
 「モグモグ……うん、んまいね!」
 「オー、ベリー・テイスト!」
 「ジューシー!」
 「オーマイガッ!」
 「これ、何かの煮ここごり?」
 「ふはははは、イルカだよ」

 「イルカだって、ふーん、たまに冷凍マグロに混じって来るって聞くけど……。ヘイ、ディス・イズ・ドルフィン!」
 「ド・ド・ド・ドルフィン……オーマイガッー!!」
 「マイガッー!」
 「ガッー!」

 さて、外国人クルーたちは、あちこちを珍しげに撮影したあと、イルカ肉をお土産に貰って帰って行った。このあと銀座にゲイシャ・ガールを撮りに行くそうだ。果たしてどんな番組になるのかな。楽しみだぜ。


 長靴国探訪記

 時は16世紀初頭の「大航海時代」。
 ポルトガル国王ラテスカ・ラプンテ・アフォンソY世の命を受け、未知なる大海に、錨を上げて漕ぎ出していく勇気ある男がいた。彼の名はゲゼル・ゲマインシャフト。以下は、黄金の国ツキジパングを夢見て旅立った英雄ゲゼル提督の魂の航海記録である。

 ……インド洋を東向きに航路を取り、我々は一路、伝説の黄金国ツキジパングを目指して突き進んでいった。途中、トビウオの大群が我々の船を先導した。それはあたかも輝かしい未来を象徴するかのようでもあった。しかし、打ち続く嵐と壊血病は乗組員を苦しめる。そして、来る日も来る日も見渡す限りの大海原が我々の胸を焦がした。ああ、麗しのリスボン港! 出港してどのくらいになるだろう。そして我々は今、何処にいるのか?

 ……夜明け頃、見張りの男が「セントエルモの火」が見えると騒ぎ出した。迷信に惑わされるな、余はマストの先で男を張り飛ばした。そして愛用の望遠鏡で沖を見やると彼方に確かに火のようなものが見える。しかも、それは断じて鬼火などではない。「陸地だ!」余は思わず叫んだ。ついに陸地にたどりついたぞ!

 ……我々はとうとう伝説のツキジパングに到着した。しかしそこは言い伝えのような黄金の国ではなかったのである。そこには長靴族という長靴をはいて大声を出す人々がいて魚を売っていた。そして、到着した我々が暁に見たものはおよそ信じがたい光景だった。無数のマグロを前にして壇上の男が祝詞を上げると取り囲んだ男達が手踊りをしている。それは、この土地では「セリ」と呼ばれる宗教儀式だという。

 ……それから我々は「ヨネモート」という茶房にて「コオヒイ」なる飲物を発見した。余がその香ばしく苦味ばしった液体を胃に流し込んでいると、シャケ屋のユミ子嬢なる者がやって来て、「下らないこと言ってないで原稿を書いてよ」と言う。一体何のことか。

 ……さて、世界はこの先の「ツキジ四丁目交差点」というところで滝になっていて落ちていくという。しかし人の良いヨネモートマスターの話によると、何でもその先に「ギンザ」なる国があるという。残念ながら今回の航海ではその真偽を確かめることはできない。いずれにしろ国王には良い報告できそうだ。我々は帰途につくことにしよう。


 さらばツキジパング、さらば長靴の国のやさしき人々。また訪なう日まで。


 市場小話

【理髪店】

 広い市場の中には理髪店が何軒かあるが、こんな場所にもあるとは思わなかった。ちょうど良い、ヒゲでもあたっていこう。自分はつかつかと店に入った。おや、こんな辺鄙な所にあるのに随分と混んでいるな。自分はイスに掛けて順番を待った。見ると3つの理髪台には3人の客と3人の理髪師が立っているのだが、不思議なことに、鏡に映る人々はみんな魚の顔をしている。
 一番左の客は鱚である。すましているがユーモラスだ。
 真ん中の客は鰒。怒ったようにふくれている。
 右の客は鰯だ。目がぽかんとしている。
 それを鮃と鱠と鰹がせっせと理髪している。
 自分は思った――魚市場に勤めていると誰でも魚に似てくるのだろう。この理髪店の鏡は何かの拍子にその姿を映すのだ、と。
 やがて自分の番が来た。席に座りまじまじと鏡を覗くと、自分の顔は鰡だった。


【食堂】

 友人に誘われて市場の食堂に入った。中はやけに暗くって自分は嫌だったが、友人は2人分をさっさと注文をしてしまった。ほどなく料理が運ばれて来たが、辺りに獣の匂いがたち込めて非常に気分が悪い。ひょいと顔を上げると周囲の食卓に座っているのはシマウマやヒヒやヤギなどの動物園の獣ばかりだ。帳場越しに覗いた店主の顔は獅子である。薄暗い店内にかれらの目がキラリと光っている。こんな所には一刻も居られない。自分は早く料理を平らげて店を出たいのだが、向かいの友人の息づかいが次第に肉食動物のそれに変わってきたので、気になって喉を通らない。


【5番のマグロ】

 マグロ屋の幸三が早朝のセリ場で倒れて救急車で運ばれた。ところが翌朝には姿を見せて5番のマグロをセリ落とした。誰もが不思議に思い、その内の一人が病院に問い合わせてみると、幸三は間違いなく入院していて安静状態だという。では、あれは誰なのか。後に本人が語ったところよれば――そういえばベッドに横になりながら、マグロをセリ落とす夢を見た、のだという。
 皆が幻を見たのか、あるいは幸三の一念が生霊のかたちを取って現れたのか。いずれにしろ、セリ落された5番のマグロの行方は誰も知らない。


【穴子】

 活けもの屋の前を通りかかったとき、ふいに父親の声をきいた気がして自分は足を止めた。確かに懐かしい自分の父親が近くで呼んでいるのだが、あたりを見回しても姿はない。はて、おかしいな。声の主を探すと、どうやら活けもの屋の水桶からきこえる。中を覗くと大きな穴子が「出してくれ、出してくれ」と父親の声でしきりに話しかけてくる。思わず桶に手を入れると、急に喰いつかれた。驚いた自分が手を振って引き離すと、大穴子は通路の石畳に叩きつけられた。活けもの屋の店主は無言でそれを拾いあげると、何事もなかったように元の水桶に戻した。噛まれた手はズキズキと疼き、二、三日腫れが引かなかった。


【夕がし】

 事務的な残業を終えて市場棟をでると、世間の様子がぼんやりとして覇気のない風が頬を撫でる。海幸橋を渡りながら、ふいに横に目をやると卸売場のあたりが白くにじんでいて、そこに見たこともない“夕がし”が立っている。いつのまにこんなもの始めたのだろう。近寄っていくと大勢の人が店を広げている。そこに知った顔はない。まじまじ眺めると、店先に広げられた食材やそこに行き交う人でなかなかの繁盛を見せているのだが、その様相はどことなく不完全だ。表情がないというのだろうか、かれらは無言劇の静けさで、決められた動作を繰り返しながら、注意深く影と寄り添うように動いている。自分はいぶかしく思い、しばらくそこに突っ立っていた。
 しかし、上弦のクオータームーンがビルディングの影に隠れてしまうと、彼らの輪郭は次第に薄れて、やがて人々も“夕がし”もすっかり姿を消してしまった。


【あやかしの階段】

 市場の再整備工事で卸売場北側の建物が取り壊された。その解体途中、階段とその上の扉だけが空中に取り残された。それがとても面白いかたちだったので、自分はいたずらにその階段を昇ってみた。そして扉を開けて反対に突き抜けたと思ったとたん、もと来た階段を逆に降りているのに気づいた。その時妙な違和感があったが、本当に異変に気づいたのは少し後のことである。
 車の車線、ネオンサインの向き、自分や周囲の人々の顔など、この世界のあらゆる事物がそれまでとすっかり逆になっているのだ。後になって考えれば、あの奇妙な階段を越えた時に、鏡の世界に入ったように、すべてが逆転してしまったのだと思う。気づいた時には階段は撤去されており、もはや元には戻れそうもない。とはいえ、自分の利き腕が左から右に変わったが、慣れれば生活上支障がないので、最近は気にしないことにしている。


 マグロの恩返し

 人一倍心優しいセリ人のキンゾウが仕事帰りに岸壁を通りかかると、一匹のマグロが近所の子どもたちにいじめられていた。
 「こらこら坊やたち、寄ってたかってかわいそうじゃないか、放しておやり」
 「何言ってんだい、こいつはオイラたちが見つけたんだ、おじさんには関係ないやい」
 「まあ、そう言うなよ。よし、おじさんがそいつを買おうじゃないか。いくらで売る」
 「こいつを買おうってのかい。そうさな、キロ5,000円ってところでどうだい」
 「セリをやってるんじゃないのだから、べらぼうなことを言っちゃいけないよ」
 「何だって!何がべらぼうだい!カメを買うのとわけがちがうよ。こいつは近海もののホンマだぜ! キロ5マルならゲロ安だよ。200キロだから100万。これはびた一文まけられないね」
 もちろんそんな大金は持っていなかったが、飛び抜けて心優しいキンゾウはカードで支払うことにして、マグロを助けてやったのである。
 「さあ、早くマグロの国にお帰り。もう人間に捕まるんじゃないよ」
するとマグロはキンゾウに向き直り、ペコリと頭を下げて言った。
 「どうもお助けいただきやして、ありがとうござんす。いや、アタシは感激しやした、驚きやした。アナタ様ほどずば抜けて心優しい方はいらっしゃいやせん。ここはひとつ何か恩返しをしたいと思いやす。ここからお選び下さい」
 そう言うと、懐中からメニューのようなものを取り出した。そこには“お好み恩返しコース”として次のように書かれていた。
Aコース マグロの国周遊の旅
Bコース マグロの機織り
Cコース 何かとっても良いものをあげる
 「このAコースというのはどういうんだい」
 「これはですね、アタシの背中に乗っていただいてですね、竜宮城のとなりのマグロ城にご案内するという特別コースで、玉手箱のお土産つきですな」
 「ああ、それはダメだ。私は泳げないから水の中に入ったら溺れてしまう。ではBコースというのは何だ」
 「これはですね、アタシが毎晩自分のヒレで機を織ります。出来上がるとマグロ模様の立派な着物ができあがるってえ趣向です。でも正体を見られたらアタシは帰っちゃう」

 「マグロ地の服なんて臭そうでイヤだな。私はCコースにするよ。良いものって何?」
 「えっ、これにするんですか? 本当にC?」
 「何だい、ダメなのか」
 「いや、ダメじゃないですがね……ちょっと、そっちィ向いてて下さいよ」
 マグロは再び懐中に手を入れて、しばらくモゾモゾしていたが、やがてそこからおごそかに1カンの握り寿司を出してきた。
 「命の恩人のアナタだから差し上げましょう。これがアタシの真髄。大トロです! はい、ここにシタジもありますから、どうぞ召し上がって下せえ」
 そしてキンゾウの耳元でささやいた。
 「銀座あたりで注文したら、目の玉が飛び出ますぜ!」

  明るい午後の陽光を浴びて帰っていくマグロ。極上の大トロを頬張りながら、それを見つめる空前絶後に心優しいキンゾウは「今日は良い事をした。これからももっと良い事をしよう」と究極の心優しさを求めて、誓いを新たにするのであった。


 びっくり電話

 アタクシは近頃電話の音がどうにもわずらわしくてなりません。自分が何をしていようと、さあ出ろ、今出ろ、すぐに出ろとばかりに容赦なく鳴り響く電子音には食傷ぎみでしてな……

  Tu Ru Ru Ru Ru Ru Ru……

 ほら、鳴ってますよ。もう夜中の12時ですぜ。こんな時間にかかってくるのは、これはもう悪いニュースに決まってます。母親が危篤だとか、息子が誘拐されたとか、貸してた金を耳をそろえて返せとか、ねえ社長さん、どうしてもアタシと別れるというなら、奥さんに全部ぶちまけるわよ。ねえ、この電話口に奥さんを出して頂戴よ、ねえ、ねえ! とかまあ、そういったたぐいの電話に違いありませんな。
 こういうのは勝手に切れるのを待つに限ります。10回も鳴れば勝手に切れます……11、12、13、14……切れねえな。仕方ない、出てみましょうかね、カチャッ
 「あー、もしもし」

 “ア・タ・シ……”

 ガチャン!

 まったく深夜のマチガイ電話には困りものです。しかし、何ですな、電話が鳴るたびに悪いことを想像するようになったのも最近でして、これで10代の頃は、恋人からの電話とか、週末の友人同士の集まりとか、電話がかかってくるのを何かしら心待ちにしていたものでございますよ。一体、電話というものは、年齢と共にネガティブに響くものでしょうかね……

  Tu Ru Ru Ru Ru Ru Ru……

 またかかってきました。まったく何でしょうねえ、こんな時間に、カチャッ
 「あー、もしもーし」

 “ねえ、急に切っちゃうなんてヒ〜ド〜イ!。マモルさあ……まだ怒ってんのお……”

 ガチャン!!

 誰なんだ、マモルって? ……コホン、さて、マチガイ電話といえばですね、以前アタクシが病院に電話したら、うっかり間違いましてね、そしたら電話口に出たオヤジがカンカンになって怒るんですよ。“まったく朝から晩まで病院ですかってかかる。ウチは不動産屋だ!”ってね。このオヤジは一日中、マチガイ電話の処理をするのが仕事になったそうで……

  Tu Ru Ru Ru Ru Ru Ru……

 また鳴ってますな……出るのよそうかな。でも気になるし……しょうがない、カチャ
「あー、何でしょうかね?」

“……マモル? あのさあ、アタシさあ、二股かけたっていうけどお、あんなヤツ関係ないしー。マジ無関係? 向こうが勝手に誘ってきただけ? ていうか、なにげにアタシはマモルに一途? みたいな、逆に言えばァ、アンタだって、ケッコウ他の子にちょっかい出した? みたいな。全部知ってる? アタシばっか言われるのってなんか超ムカツクー! みたいな、ちょっと、何で黙ってるワケ、アタ……”

  ガチャン!!!


 1998年のフットボール

 「へーっ、へっへっへ!」
 マグロ屋のタツゾウは思わず歓喜の声を上げた。今日セリ落としたマグロが素晴らしい上物だったからである。見やがれ、オレの目利きに間違いはねえ! どうでえ、この脂の乗りはよ。ツヤといい、テリといい、へへっ、女のやわ肌のようだぜ。くーっ、こんなマグロにはなかなかお目にかかれねえ。年に一度、いや10年に一度ってえ代物だ。こいつは滅多な奴には食わせられねえぞ。そうだ、アイツに食わしてやろう。
 タツゾウは思い立ってマグロを保鮮紙に包み始めた。
 「さっきから何ニヤニヤしてしてるのよ? あら、アンタ、それどうするの?」
奥からおかみさんが声をかけたが、タツゾウは耳を貸さずに一心不乱にマグロを包んでいる。
 「なあ、おっかあ。クリントンって奴は、どこにいるんだ?」
 「え、カリントウかい?」
 「ばかやろう! 駄菓子を買いに行こうってんじゃねえ! 米大統領のクリントンが来日して、今どこに泊っているかって聞いてるんだ」
 「ああ、あのクルリントン? さあねえ、一流ホテルに泊ってるんじゃないのかしら……あれ、アンタ、急に飛び出して、ちょっと、ねえ! どこ行くのよー!」

 「待ってろよクリントン、今行くぞ! おめえは女性問題でしょげてやがるんだろ。すぐにこの最上のマグロを食わしてやるからな。きっと元気が出るぞー!」
 タツゾウはマグロを小脇にかかえたまま、市場を飛び出し、晴海通りをひた走った。通行人をすり抜け、車を追い越し、弾丸より速い8マンまで抜き去って突っ走る。それはもう相対性理論無視の超光速のスピードで、タツゾウの背中はドップラー効果を起こして赤方偏移していた。そうして地球を7周り半したあと、ついにクリントンが泊っているとおぼしき一流ホテルにたどり着いた。

 「な、何だあれは!」
 ホテルを囲む警備員たちは、もはや火の玉と化して突進してくるタツゾウを見て仰天した。
 「や、アイツが抱えているのは爆弾に違いないぞ! 取り押さえろ!」
 数人の警備員が飛びかかるのをタツゾウはやり過ごし、敵のエンドゾーンを目指して駆ける! しかし相手方RBが猛烈なタックルでこれをサック! マグロは20ヤードラインを転々とする、これはゲインとなりません。ワシントン・プレジデンズはディフェンススクリメージラインからフリーキック、おーっと! これをタツゾウがインターセプト! ひた走ります。敵のショットガン・トリプルウイングを突き崩し、ラッシュ!ラッシュ!
 さて、ここでVIPルームから顔を出したのは……クリントン! クリントン大統領の登場だぁ!
 「ヘイ、ビル!!」
 タツゾウはすかさずクリントンにパス! さあ、QBクリントン、走ります! いや早い! これは早い! あらゆる障害をうまいことすり抜けて進んでいきます。20ヤード共和党ラインを抜け、10ヤード・モニカラインを越えた! さあ、エンドラインに今、タッチダウーン!! 米大統領クリントン驚異の70ヤードゲイン! 逆転勝利です! 歓喜にゆれるスタジアム、割れんばかりの拍手の渦! クリントン感極まってマグロに食いついています。

興奮したタツゾウは思わず声を上げた。
  「いよ!大統領―っ!」


 兎の話

 新年おめでとうございます。
 今年も皆様にとって良い一年であります様、ご祈念申し上げます。

 まずは干支にちなんで、兎の話でもいたしましょうか。
 兎は昔から愛玩動物として珍重されてきましたが、これが明治維新の頃に、たいそうな流行をみました。当時の没落した士族が生活のために汁粉屋を始めたり、植木を作ったのと同じように、兎を育てて売り出したのがその始まりで、今の新富町のあたりに兎会という市が立ち、良種のものは天井知らずの高値で売買されるという隆盛ぶりだったそうです。買う方でも、優良な種を仕入れて、自分の所で増やして高く売ろうという気ですから、ご維新の東京市中は陰鬱たるケモノの臭いでたち込めてしまいました。
 見かねた明治政府は、兎会の禁止令を出すと共に、兎一匹につき一円の税金を取ることを決めました。何しろ、白米一升が六銭とかいう時代ですから、これは大金です。それで流行も陰りを見たのですが、決定的な終止符を打ったのは明治六年の大火でした。この年の暮、神田より出火した炎は下町一体を灰燼に帰したのですが、すぐに焼け跡のそこここから避難民たちの食事の白い煙が上がりました。それこそ「〆子鍋」と名づけられた、あわれ、兎たちのなれの果てだったのです。その後、生き延びた兎は、市中のあちこちに群れをなしてひそみました。戊辰戦争で焼け跡になった上野の山など、野兎の集落と化したといいます。
 これはその頃のお話です。
 新堀の酒問屋「灘屋」の主人幸兵衛が正月の句会からの帰り道、明石町とおぼしきあたりで道に迷ってしまいました。夜も更けた凍りつくような空気に身をすくめながらあたりを見回すと、どうにも覚えのない風景でいぶかしく思いました。煉瓦造りの建物、赤い屋根のひどく小さな家並み、大理石の街路。昨今ひらけた外国人居留地はこんな風だったかしら。
 いくら夜更けとはいえ、あまりにひとけのない風情に幸兵衛は気味の悪さを感じました。やがて小さな屋根の上に、血のように真っ赤な月が昇ってきたので、幸兵衛はぞっとして歩き出しました。
 “ああ、早くこんな薄気味悪い場所は出てしまおう”
 そう思いながら早足で進むのですが、なかなか町から外に出られません。そうこうしているうちに、町の中心と思われる広場にやって来ました。歩き回った疲れで、そこに腰を下ろしていると、周囲にザワザワという気配を感じました。驚いて顔を上げると、そこには先ほどの赤い月がありました。が、よく見るとそれは月ではなく、真っ赤な色をした、ケモノの目だったのです。しかもそれは、ひとつやふたつではなく、無数の赤い目が彼を取り囲んで、ジリジリと近づいてくるではありませんか。
 キャーッ!
あまりの恐怖に幸兵衛は声をあげて、そのまま気を失ってしまいました。
 それからしばらくして、彼は耳元に波の響きを聞いて目を覚ましました。それは、築地の岸壁に打ちつける波の音でした。自分は今までどうしていたのだろう。見るといつもながらの月は中天で笑い、居留地の風車が遠くでハタハタと回るばかりの、夜がありました。


 ノストラダムスの犬予言

 ウチの近所に未来を予言するという不思議な犬がいるんですわ。この犬の予言が……
 あ、そうそう、予言といえば、今年はノストラダムスの年でしたな。アタシの友人にも1999年に人類が滅亡すると固く信じて、どうせ死ぬのなら、と享楽的な毎日を送っている奴がおります。
 その人類滅亡を予言したという有名な詩ですが、

1999年、7の月
空から恐怖の大王が降ってくる
アンモルゴアの大王を復活させるために
その期間マルスは幸福の名のもとに支配するだろう

 というポエジーなもので、なるほど、今年、何かが起こるような気がしてくる。しかし、これは原文がフランス語で書かれているので、訳し方で解釈がずいぶん違います。フランス語といえば、トゥールーズ生まれの亀有育ちで、日本語を話していてもついリエゾンしてしまうほどネイティブな私が訳すと、これまた画期的な解釈となるわけですケスクセ。

 まず1行目からして解釈が違いますな。
 1999年7月ではなく、1999年になる7ヶ月前となります。前置詞を見逃せません。つまり1998年6月。もう過ぎた事ですが、一体何があったのか。
 2行目を見てみましょう。「恐怖の大王」ではなく「デッカイ魚」が正しい訳です。「デッカイ魚」とは何か。そうです。仲卸の「魚大」の事に違いないのです。「空から降ってくる」のではなく、ここでは「足の上に落っこちる」と解釈したい。
 3行目はもっと具体的に書かれている部分ですよ。「アンモルゴアの大王」は直訳すると「マグロの王様」、つまり「ホンマグロ」ですな。こいつが骨を打ち砕いたと、こう読み取れるわけですね。
 4行目は次のように結んでいます。「マルス=火星」ではなく「ナース=病院の語源」が正しい。実は入院期間について語っているのです。結構治療費がかかると。
 では、続けてみましょうか。

1998年6月
「魚大」の親父の足に落っこちる
近海ものホンマグロの痛恨の一撃は彼の骨を打ち砕くだろう
そいでもって 入院費用は馬鹿にならないぞよ

 これは予言がピタリと的中したという好例でしょうな。だって、本当にあった事なんだもん。(すごいぞノスティ!)16世紀の予言者がなぜ築地の仲卸の親父の骨折を予言したのかは分かりませんが、その恐るべき的中率に、私は震撼せずにはおれません。
 そんなわけで、今年、人類滅亡がないことが分かりましたね。享楽的なマイフレンド、キミ、これからの人生どうする?

 そうそう、犬の予言の話ですがね、長くなったので、今日はやめときますわ。


 本との縁(えにし)

 あ、また読んでくれましたな。
 アナタの視線とUSBポートかなんかで繋がってるような気がする、メカジキ日記です。

 さて、今日は子どもの頃に失くしてしまった本が突然に戻ってきたというお話をしようと思います。
 それは1冊のマンガ本なんですがね、小学校1年生のときに小遣いはたいて買った水木しげるの妖怪マンガ。何度も繰り返し読んだためにページが破れたりして、ちょっとボロボロになってましたが、それでも僕には大切なものだったんです。それがある日、母親に勝手に捨てられてしまったと。
 だいたい世の母親というものは、マンガ本といえば捨てることしか思いつかぬという頭の持ち主ですから、かの女の無思慮によって、長年いつくしんだ僕の水木マンガは他のくだらない女性週刊誌かなんかといっしょに当然のようにチリ紙交換に供されてしまったわけです。ああ、その時のショックがいかばかりであったか。しかし、ま、それはよくあることですな。自分の宝物を勝手に親に処分されたなんて経験は、こりゃもう誰にでもあります。そして、その心の痛手なんてやがては消えてしまうものです。ところが僕の場合はね、そうじゃなかったんですね。何とか、あの本を取り戻したい、もういちどこの手にしたい。そういう気持が消えなくて。その思いをずっと持ちつづけていったんです。
 僕が大人になった頃、マンガはいつのまにかプレミア価格で取引きされるようになっていて、某マンガ専門店などで、僕はくだんの水木本を何度か見かけたことがあります。そのつど、よっぽど買おうと思ったものですが、何か気がひけるというか、それを自分のものにしたいという気が起きなかったんですよ。実際、「5千円」とか付けられた値は、ちょっと高いな、と思ったんですが、それだって長年の喪失感を埋める金額としては、むしろ安いくらいです。お金の問題じゃなく、きっとこれを買ってもあまり満足しないんじゃないか、そんな気がして、ため息をついたものです。
 それはある日、京都に行ったときのこと。僕はバイクで木津川べりを悠長に散策していたんですが、あれは田辺だったか木津だったか、ふと立ち寄った古い宿場町の、夕暮れがかった、何かなつかしい風景の中に一軒の古本屋がありました。いかにも紙魚にくわれたような郷土史やら忘れ去られた文学作品やらが雑然と並んでいる、言ってみればこの世に何の用も足さないような雰囲気を持つその古本屋に、僕は吸い寄せられるように入っていったんです。そして、あらかじめそこに何があるか分かっていたかのように、躊躇することなく奥から二つ目の本棚に向かっていくと、その三段目に手を伸ばし、いつのまにか僕は、長年夢みたものを手にしていました。
 焼けたページをめくると、ふいに昔の記憶がよみがえるようで、頭がくらっとしました。友だちに貸して破かれた113ページはセロテープで修繕したために、茶色い跡を残したままです。息を飲んで裏とびらを開くと、消しゴムで消されていたけれども、そこにはかすかに、たどたどしい筆跡の自分の名前を認めることができました。
 「50円」
 黒ぶち眼鏡の店主はまったく何の感慨もなく言い、僕は世にも不思議な買物を済ませた後も、しばらく夢見ごこちにありました。
 いま思っても、それは夢だったのかもしれない。あの奇妙な古本屋だって夕暮れ時にあらわれる幻じゃないかと考えたりします。いったい1冊の本と、10年以上の時を経て、しかも400kmも隔てた場所で再会するなんてどれほどの確率でしょうか。恋人が人類を調査にやってきた火星人だったという方がよほど信憑性があるというものです。僕はマンガ本を手にしながら、実はこの本を一度も手放したことはなかったんじゃないか、ずっとそばにあったんじゃないか、という気持になるんです。
 お話というのは以上です。こんなバカげたこと誰かに信じてもらえるなんて思わないんですが、ただひとつ僕が確信していることを言わせてもらうなら、本というのは、あきらめずに探してればと、向こうからやって来てくれる、ということです。逆に、いつでも手に入るからとそっぽを向いていると、いつのまにか姿を消してしまう。人との出会いにも似た、そんな不思議な縁があるように思えてなりません。


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