むぎわらイサキは北を向いて食うのだ!

 「むぎわらイサキ」なんぞといって、麦藁ができる6月から8月がイサキの旬だ。特に産卵期を迎えて抜群に美味くなる梅雨の頃がイサキ漁の勝負となる。こいつは岩場の静かな所にいるんだが、夜ふかしな魚だから昼に行っても寝てるぞ。「イサキの磯釣り丑三つ時」なんて漁師は言うがね。だから、こいつを捕まえるのは夜中から明け方に限るんだな。大きな電気ウキにアミコマセかごを付けた投げ釣りが一番効果的だ、とものの本に書いてある。
 それにしても獲れたてのイサキは何しても美味い。三枚におろして刺身で良し、塩焼きにしても良し、フライなんぞにしても、これまた一興!
 ただ、ひとつ注意しなきゃいけないのは、こいつの骨はとても固くて危ないってことだ。内臓にささって切開手術をしたなんて話が実際にあるくらいだから、ていねいに骨を取った方がいいぞ。九州地方じゃノドにささって命を落とさぬように「イサキは北を向いて食べろ」なんていわれてる。なんでも北を向くと骨が引っかからないらしい。真意は分からないがな。だが昔の人の言葉には意外に真実がふくまれてるというから、皆も信じてイサキを食うときはぜひ北を向こうではないか。ははははは。


 名が体をあらわすタチウオ

 江戸小咄に「太刀魚」というのがあるな。
 ある晩のこと、商家に強盗が押し入り、切れ味良さそうなダンビラをビタビタ突きつけて「やいやい金を出しやがれ!」とスゴむ。主人が真っ青になって震えていると、そばにいた飼い猫が突然、強盗の刀に向かって飛びかかった。いきなりのことに仰天した強盗は刀を捨てて逃げていく。「主人の命を救うとは何と忠義な猫」と感心しながら、良く見ると刀と思ったのは太刀魚だった、というお話。
 
つまり新鮮なタチウオは本物の刀と見まごうくらいピカピカ光ってるってわけだ。名は体をあらわすっていうけど、タチウオくらいピッタリした名前を持つ魚はないな。
 こいつはまた特異な形と共に、その表皮もとても特徴的だ。銀色に光る体にさわると白い粉が手につくけど、これはグアニンという物質で、塗料の原料にもなってる、とものの本にでてくる。別に毒ではないが、調理の前にはちゃんと落としておこうではないか。タワシでこするとよく取れるぞよ。そうしておいて、ぶつ切りにして焼いて食ったり、小麦粉とバターでムニエルにして食うのも気が利いてるというものだ。白身の淡白な味わいが上品な魚だから食卓がぐっと華かになるであろう。
 最後に裏技をひとつしんぜようか。タチウオはな、痔に効くらしいぞ。切り身をこう、患部にペタッと膏薬みたいに貼るとイイそうだ。どうも眉ツバっぽいがな。誰か試したら我輩にもそっと効き目を教えるがよい。

 痔主には朗報だったな。ふはははははは。


 ハモの季節どすえ

 関西の夏はハモ料理で幕が開くという。
 ハモは「梅雨の水を飲んで美味くなる」なんぞといわれ、夏祭りの時期が一番とされておる。大阪の天満天神祭や京都の祇園祭は別名ハモ祭りといわれるほどだ。祇園ばやしが聞こえる頃になると「ハモの季節どすなあ」と挨拶を交わすほどに、ハモといえば祭りを連想し、祭りといえばハモを食べたくなるというくらい、関西人には思い入れ深い魚だと、ものの本に書いてある。
 ところが関東ではあまり身近でないな。こいつは関東以北であまり獲れないということもあって、最近でこそハモ料理を出す店も増えたけど、昔はほとんど食べなかったぞと我輩の親父殿も言っておった。
 それでアレだ。ハモというのはどうにもツラが悪い。ウツボみたいな顔してる。そのデッカイ口で他の魚をガリガリ食うんで「食む(はむ)」ことからハモっと名がついた、とものの本にある通りだから、何しろ見栄の上品さに欠けるというもの。その辺で敬遠されたのかもしれぬ。むろん食えば美味い。まったく美味いんだが、こいつを料理するには「骨切り」という名人技が必要とされる。
 「骨切り」は、ハモの身に縦に沿っている小骨を包丁で細かく切るんだが、ほんの1寸(約3センチ)に20以上も包丁を入れていく。25入れれば名人とされる。その際に皮は切らずに残さなくちゃいけない。まさに執念の技だ。「どや、見事ですやろ。やれば出来るんや。やってみなはれ」これが関西料理人の誇りなのだという。
 関西人とはあなどれぬ者よのお。はははははは。


 嫁に食わせろコチの頭


 「鯒の頭は嫁に食わせたい」という諺がものの本に書いてあった。これは、コチの頭には身が少ないから、嫁にはそんなもんを食べさせておけば十分だという意味の、つまり姑の嫁いびりというわけだな。
 ところがこれが大マチガイのコンコンチキ(死語)だ。確かにコチの頭は骨ばかりでゴツゴツしているが、通に「コチの頬味」といわれるほど、エラの張った頬の部分には最高に美味い肉が隠されているぞ。だからこの諺は嫁いびりじゃなくて、嫁思いの姑ということになる。まあ、そうやって嫁姑が仲良くなればいいがな。
              
  さて、このコチだが、旬は産卵期の7〜8月。なかでも体長50センチにもなるマゴチは最高級で市場からそのまま料理店へ直行だから、魚屋の店頭なんぞにはなかなか顔を見せない。こいつをフグ刺しのような薄造りにしたり、天ぷらや洗い、ちり鍋にしたら、頬っぺたがストッと落ちるぞ。と同時に眼の玉もボヨンと飛び出す。こりゃびっくりという金額取られるから、フトコロが淋しい時には自分で釣ってしまった方が良い。
 
そのコツを教えてしんぜよう。
 まず浅場で船釣りするのだが、いっそ小さなメゴチを餌にするといいぞ。その際にアタリがあっても早合わせは禁物。コチの30っていって、口の中で30まで数えるんだ。というのもコチは餌を口に入れても噛み切ったりしないので、あわてて引くとはずれてしまう。何しろ悠然とかまえること。すると仲間が後を追って、二尾いっぺんにかかることもあるぞ。

 さあ、家に帰って料理しよう。ふふふふふ。


 皇族の魚

 数ある魚文字の中でも、ひときわ上等なのがヒガイだな。何とさかなへんに天皇の「皇」と書く。これは、明治天皇がたいそうこの魚を好んだためだそうで、ヒガイはまんまと皇族の魚の名誉にあずかったわけだが、それ以前の江戸時代には「痩せて弱々しい」もののたとえにされていたという。
 浄瑠璃の「八百屋お七」では「世にひがいなす娘をば、あの柱へくくりつけて」とあるし、近松の「曽根崎心中」にも「ひがいすな男」と出てくる。ともに弱々しい娘、やせっぽちの男という意味だ。なるほど、その細長い身体から弱々しい印象を受ける。どことなくカメに似た顔がいかにも気が弱そうなのだが、実際にヒガイはエサを前にしても、他の魚が近づいてくるとスゥーッと水草のかげに隠れて、食事にもありつけないという実に奥手な魚だという。
 こんな小心者をつかまえてきて、どうやって食うのがうまいかというと、一般的には焼き物がいいと言われている。が、我輩は断然、南蛮漬をおススメする。
 これは、酢1/2カップに、だし大さじ2、砂糖大さじ4、うす口しょうゆ小さじ1の割合で合わせてひと煮立ちさせてさまし、これにトウガラシのタネを抜いたのを2本ほど入れる。これが南蛮酢というもので、いろいろと活用できるから覚えておいて損はないぞよ。
 さて、くだんのヒガイを串に刺し、姿焼きしてから風干し。これをから揚げにしてから熱湯をかける。それをこの南蛮酢に浸したのがヒガイの南蛮漬だ。その味ときたら実に上等にして美味。やはり、皇族の名もだてではないかもしれんな。ほほほほほ。


 真の実力者は目立たない

 世の中には、生まれながらに大勢の注目を集める華々しい星の下に生まれた者がいる一方で、誰からも見向きもされず正当に扱われないという者もおる。両者の実力の差なぞ、ほとんどなかったり、あるいは目立たない人物の方がよっぽど優れているなんてことが往々にしてあるものだ。それというのも、世間がずしりとした中身よりも薄皮一枚の魅力を好むからで、大体において一般的な評判なんてあまりアテにはならんぞ。
 まあ、魚においても同じようなことがあるようだな。
 コイとフナはともに淡水魚を代表するような魚だが、コイが川魚の王さまのように扱われ、コイの滝登りとか五月のこいのぼりのように華やかな役どころが与えられているのに対し、フナの方は昔から泥臭いもののたとえとして扱われてきた。江戸時代には意気地なしの田舎者のことをフナと呼び、かの浅野匠頭も吉良上野介に「鮒侍」といわれて頭に血が上ったわけだから、もしも「鯉侍」といわれてたら、そのあと二人でちょいと一杯飲りに行きますかな、ということになっていたかもしれぬし、討入りなんぞなかったにちがいない。
 こんな評価の違いが生まれたのも、コイが水面を元気良くはねてみせたり、立派なヒゲをたくわえているのに、フナは動きも地味だし、ヒゲもないからといった見た目の印象だけのことだからあてにはならん。たとえばフナの変種の金魚を見ても、種類といい数といい目を見張るものがあり、淡水魚の王者はむしろフナの方といっても過言ではなかろう。
 むろん味においてもフナはコイに負けてはいないぞ。とくに4月〜5月の子持ブナは釣り師らから「乗っ込み」と呼ばれたいそう美味とされておる。こいつを筒切りにして、砂糖、しょうゆ、酒などを加えて煮たものは最高。東京近郊では土浦や古河で名物とされている「フナのアメ煮」がこれだ。実にうまいので一度食してみい。はははは。


  タコの誤解

 タコというのは何しろ誤解されやすい生物ではある。
 西洋人は「海の悪魔」なんぞと忌み嫌い絶対に食べんが、これがまず誤解だな。こんなにうまいものを見た目が悪いばかりに実におしいことだ。いや、食わないやつは放っておけ。好きな者だけで食えば良い。
 それに比べ我ら日本人はタコのおいしさを知っておる。が、いつも食っているからといって、それでタコのすべてを知りつくしていると思ったら大間違いだぞ。多くの者がずいぶんとかれらを誤解しているようだな。「お前、タコじゃないの」などと、人を小バカにするときに言うが、そんなことはタコに大変に失礼だぞ。本当のところ、タコはバカではない。たとえば、じっと岩の陰にかくれていて、二枚貝が殻をちょっとでも開けると、間髪を入れずに殻の間に石を挟み入れるなどというスゴイ特技も持っておる。実に頭が良くて用心深いのがタコの本質。それをバカにするなぞ、そいつこそおろか者だ。
 タコというものは、あのとおりむき出しの身体だから、タイのように鋭い歯の持主にやられたらひとたまりもない。そのために夜までじっと岩間にひそみ、夜陰に乗じて小魚などを獲るという頭脳的プレーをするような習性になったのだと書いてある。ものの本に。だから蛸壺漁などというものは、この用心深さを逆利用したもので、蛸壺を見つけたタコが「こりゃ良い隠れ家だわい」とばかり石を抱えて入り込み、そいつでフタまでしてしまうというから、やはりタコはバカかもしれん。
 それから、このぐにゃぐにゃした軟体動物は実は貝の仲間なのだということを知っておるかな。そして、普通我々が頭と呼んでいるのは本当は胴体。8本の足はあれは腕で、その付け根部分が頭。そこに目と口もある。どうだ、やはり誤解しておろう。
 最後にタコの旬だが、、一般的には冬とされているが、実はこれも誤解はなはだしい。4月〜5月にかけての「春ダコ」がいちばん身がやわらかくてたいそううまい。この時期のものは、やはり刺身で食いたい。そこでタコ刺しのおもしろい作り方を伝授しような。マダコの足は切り離してもまだ生きておるので、この吸盤をまな板に吸い付かせて固定させ、そこを包丁で皮切りする。簡単にぬめりが取れる裏技だ。なははははは。


 刺身は接吻(くちづけ)

 ものの本によると、江戸時代に「さしみ」というと“接吻”の隠語なのだそうだ。古川柳には、刺身が登場する艶っぽい句がたくさん出てくる。
  さしみにて ひやめし強いる 下心
  母の目が 皿おさしみも チト遠慮
  おさしみ前に 土手をばちょっとなで

 まあ、説明は不要であろう。刺身の水々しい感じを婦女子の口唇になぞらえたものだが、これがなかなかに生臭そうな口だ。
 刺身というのは、魚を生のまま食するという、世界でも類を見ない、魚食国日本ならではの食べ方であるが、では、もとから日本人は生魚を食べていたかというとそうではないぞ。およそ鎌倉時代に刺身の原形のようなものがはじまったというな。その頃の刺身は、「打身(うちみ)」と呼ばれ、生魚のままではなく鱠(なます)にして食べていたそうな。
 足利時代になると、魚の新鮮さを強調するために、その魚の鰭(ヒレ)を魚肉と魚肉の間に挟んだので「刺身鱠(さしみなます)」と呼ばれ、おそらくこれが刺身という名が最初に文献に登場したものであろう。
 それでも、たとえば東京では、大正時代までイカの刺身は気持ち悪いからと食べなかったくらいだから、刺身が料理として定着するまでには、ずいぶんと時間がかかったわけだ。刺身普及の決定打となったのは、室町末期に紀州で発明されたという醤油の登場による。これが元和年間(1615〜24)に江戸に移入されると、これが刺身のおいしさを実に引き立てるということで大流行をみたのだ。とはいえ、初期には高価なものだったので、初鰹を味噌で食べたなんて話もある。
 まあ、お刺身をいただくといっても、これで長い時間をかけて育まれた食文化の完成形を味わっているわけでな、ここは川柳にちなんで、恋人に接吻する心持ちで、魚をいつくしむつつ食べたいものだ。わはははははは。

 

 エイの裏側

 「アカエイ三分小切れが二分」ということわざがあるぞ。アカエイは安い魚で、大型を一尾買っても三分の値段で買えるが、小さい切り身で買っても二分は取られる。そこでケチな奴はどうせならと一尾丸々買ってしまいがちだが、おろす手間ひまと、食べ切れずに捨ててしまう分を考えれば、結局は二分で食べる分だけを買った方が安くつくということだ。目先のお得にまどわされると、大局的には損をしてしまうという例えであるな。
 確かにエイをさばくのは我輩もまっぴらだがな。しかし、コイツを一尾丸々買って、「これを今日の晩飯にせい!」と、デーンと持って帰ったら、なかなか豪快だからやってみたい気もする。
 ところで「桃山人夜話(とうさんじんやわ)」という江戸時代のお化けの本に出て来るアカエイはモノスゴイ奴じゃわい。
 ある時嵐に遭って漂流した船が辛うじて一つの島に漂着する。「ここはどこだろう」船乗りは上陸して人家を探したが、ニ三里四方には全く人の姿は見えない。そこは見なれぬ草木が茂って、岩の隙間には海水が流れ込み魚が棲みついている。飲み水も得られないので仕方なしに船に戻り、漕ぎ出したとたんに、島は海中に没してしまった。実はこれは島ではなく、巨大なアカエイだったという話だ。
 まあ、さすがにこのようなデッカイ奴もいないであろうが、大西洋に棲むジャイアント・デビル・レイという奴は5〜6メートルにも達するというから、まるで怪獣といって良いかもしれぬ。しかし、どれほど巨大で奇怪な姿をしてても、エイの裏側というものは何かイイ奴という感じがせぬか。
 はははははは。

 世界一美味しいゴミ屑

 ゴンズイって奴を知っておるかな?
 20センチくらいの、口の周りに8本の髭を生やした、見た目はナマズなんだが海に棲んでる変な魚だ。こいつを魚屋さんで見かけることは、まず絶対にない。何故かというと、市場でもよくセリ場などに転がっておったりするが、みんなかき集められてゴミといっしょに捨てられてしまうクズ扱いの、誰にも相手にされない魚だからなのだ。三浦半島の方じゃあこいつを「エドミズ」と呼んでおる。東京へ持っていっても見向きもされないから、生涯「江戸を見ず」に終わるって意味だそうだ。だいいちゴンズイって名の語源も「クズ」を意味する「ゴンズリ」から来ているってんだから、身もフタもないのお。
 ところがこんなにヒドイ扱いをされているゴンズイだが、実はすごく旨い。蒲焼にするとな、乙な味だ。ウナギのように裂いて、タレをつけてジュウジュウ焼くと、香ばしさの中に甘味があってなかなかイケるんだ。それから味噌煮にしたり、味噌汁に入れても良い。
 では何故こんな旨いものが捨てられるかというと、実はこいつはひどい毒を持っておる。背ビレと胸ビレにトゲがあり、こいつに刺されると激痛が走ったとたん、見る見るうちに手がグローブみたいに腫上がってしまう。毒のある魚ではオニオコゼやカサゴなんかといっしょだが、こいつの方がずっと危ない。それで、市場ではゴンズイを見ると、蹴飛ばしたり、踏みつけたりする。それでもウカウカすると靴底を通して刺されるくらいだから、皆にうんと敬遠されてるワケだ。
 そうして今日もこの不遇な魚は、誰の口に入ることもなく、世界一美味しいゴミ屑として捨てられるのだった。うーむ。


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