顔が悪いというだけで

 シイラという魚がおる。こいつがおデコの張った異様な顔つきをしていて、尻すぼみの体型が何となく人魂を思わせる上に、釣り上げたとたんに体色が七色に変化しつつ死んでいく様が非常に不気味に見えることから、何とこの魚は水死人の肉を喰うなどという言い伝えがあるぞ。
 死体を喰いちぎる魚。なんともゾッとする話だが、実際これはよくあることで、何しろ魚どもにとってみれば、水中をただようそれが魚の死体だか人間の死体だか区別なんかつきゃしない。悪食で有名なシャコやタコなんぞは、もちろん喰っているはずだ。
 だがシイラが水死体イータだというのは、こいつはまったくの濡れ衣というものだ。ただもう顔が悪いというだけで、ある地方じゃ忌み嫌われておるが、本当は心やさしく内気なやつだ。たとえば、つがいのシイラは一方が漁師に捕まると、もう一方もわざと捕まるというんだな。漁師の人が言っておった。
 といってもこいつの面相を魚屋でおがめることはない。切身で店頭に並ぶからな。それもたいていブリだなんていって間違って売られているよ。だからブリとして食卓に上がるというのがよくあるケース。食べてもよく分からん。シイラの方が脂が少なくて、皮が青みがかっているから、その辺で見分けるかのお。まあ間違って買ってきても大丈夫。どちらもおいしいからな。さっぱりした味わいは夏にうってつけだ。うむ、刺身が一番うまいかもな。


 いわゆるプチ・アワビなトコブシ

 我輩は魚河岸のマグロ屋に生まれながら、けっこう大人になるまで「トコブシ」って、かつお節みたいなやつで、削るもんだと思っておったのだ。いや、はずかしい話だがな。ある日、河岸のオヤジさんが「おう、トコブシ食うか?」と持ってきたのがこいつを見たはじめで、「何だ貝ではないか」と思わず口をついて出たのを、「貝じゃないトコブシってあるかよ」とたしなめられたものだ。オヤジはその場で網焼きにすると、煮立ったところに醤油をたらり。実にワイルドでカッコイイ食い方だと思ったものだ。それに何とうまいのだろう。その瞬間、我輩の人生は変わったな。トコブシを認識したとたんに、最早これなしではひと夏越せないトコブシストになっていた。
 このトコブシの由来というのは、石の下(石床)に殻を伏せて密着していることからついた名だといい、古くからアワビの幼貝だと信じられていた。もちろんアワビとは全然別ものなのだが、確かに姿かたちはちょいと見分けがつかないくらいソックリである。その大きな違いは、アワビが25センチ程度まで大きくなるのに対し、トコブシの方はせいぜい10センチ足らずにしか成長しない。まあ、プチ・アワビと思えば、高級食材アワビに手が届かなくても、結構満足できるというものだろう。それにアワビに負けないくらいうまい。食べ方は今言った姿焼きもいいし、醤油と酒の煮汁で殻ごと煮てしまう「含め煮」もおすすめ。つまり、出来るだけ豪快にストレートに食するのが、トコブシ食いの醍醐味であろうな。ふははははは。



ウッカリカサゴ

 サカナの名前はどこで誰がつけたのであろうか?
 実は決まりなどなくて、学者がつけたものもあれば、一般人がつけたものもあるし、地方に残る伝説にちなんだり、取引上有利になるように業者が勝手につけたものもある。だから統一感がなく誤解も多いのであるが、さらに日本だけでも魚類は一万種以上も生息しており、今なお命名されていないサカナが数え切れないほどいるというのだから、サカナの名前を正確に覚えるのは至難の技なのだ。
 サカナの名づけ親として名高い人に故阿部宗明博士がおる。博士は築地市場で取引される数百種類ものサカナを毎朝ながめては、「先生、こいつ見たこともねえやつなんですが、いってえ何というサカナです?」などという業者の疑問に対して、「ほほう、これはアマダイにちがいないが、頭部の突起物がいかにもニワトリのようじゃな。ふむ、トサカアマダイでよかろう!」なんてふうに命名しておったそうな。そうして名づけたサカナは数千種に及ぶというから、実に想像力豊かなスゴイ先生であったな。
 阿部博士が命名する基準として、
 @性別、A形態、B色彩・模様、C習性、D成長具合、E発光・発電の有無、F生息地、
 G発見者の名前 などを考慮していたという。
 そして、たまにはお茶目な名前をつけたこともあったようだ。
 あるとき外国からどっと見たこともない魚が入ってきて、博士、またも片っ端から命名していった。数十もの名前を創出し、さすがに疲れた博士、一息ついてお茶を飲んでいると、助手があわててやってきて、「先生、このカサゴにまだ名前をつけていませんヨ」。「おお、うっかりと忘れてしまった・・・ううむ、よし! ウッカリカサゴでいいや!」
 というわけで命名されたウッカリカサゴ。今も春になれば築地市場にうっかりと上場されているぞ。


 血だらけのタコ

 生き物というものはケガをすると血が出る。魚だって包丁で切れば真っ赤な血がほとばしる。ところがだ、タコというヤツは血を流しているのを見たことがない。生きているタコをスパッと切っても血のようなものは出てこない。ううむ、変ではないか。生物たるもの血液なしには生命の維持ができないはずだ。たしか理科の時間にそう習ったぞ。
 「ナニ言ってんでえ! タコが血ィ出すわけネエじゃねえか! だってアレだろ? タコってホレ、軟体だから・・・」
 魚屋でさえそんなたわけたことを申す。
 実はタコにも立派に血が流れているのだ。そもそも血が赤く見えるというのは血液のヘモグロビンに鉄分が含まれるからで、動物も魚もみんな赤い血が流れておる。ところが血液中に鉄分を持たず、銅と化合したヘモシアニンというものが流れているタコの血は、赤ではなく、ちょっと青みがかっておる。ちょうど空色といったところだ。それで可視光線のもとでは、人間の目には何も映らないと、こういうわけだ。ものの本に書いてあった。
 よくタコの足、おっと、腕を切っちゃ食い、切っちゃ食いしてるタコ好きの者がおるが、ほんとはアレって血だらけのやつをクッチャクッチャやっているわけだ。
 ちょいと、そこのアンタ。アンタの口のまわり、血だらけだぞ。


 タコの気持ちは色で分かる

 タコの微妙な気持ちがその色で分かるようになればもう一人前だという(何のだ?)。
普段タコというのはノラリクラリと海底を散歩しておる。このときたいてい薄茶色しているな。実にリラックスした良い精神状態といえよう。
 ところが急に目の前に天敵のウツボを発見すれば、その顔色はみるみる赤くなっていくぞ。うおーっ、こりゃ大変だぁぁぁぁ! と、すっかり気が動転している状態だ。すぐさまケツまくって(どうやってまくるか知らんが)気合を入れて呼吸孔から海水を噴射して逃げ出す。そして逃げおおしたとホッとしたときのヤツの顔は灰色になっているはずだ。
 実はタコというやつは目から刺激を受けると、それが脳に伝わりさまざまに体色を変化させる特技を持つ。大好物のエサを見つけたときには、瞬時に周囲の風景に同化するように体色を変化させる。そうして敵の目をゴマかして、やすやすと欲しいものを手に入れるんだな。
 では、エッチのときにはどんな色になるのか、などとつぶさに観察した者がおるそうじゃ。物好きよのお。それによれば「変化なし」ということである。ううむ。
 が、「色は変化しないけど、眼がトロンとする」らしいぞ。
 ふはははははは……は。


  天邪鬼が得をする

 我輩は昔から天邪鬼だと言われてな。他人様がこれはいいと言えばまず疑ってかかる。世間で騒ぐものには絶対に飛びつかないという、まあ、ポリシーでやってるんだが、こういう性格はあまり得なことはない。だが唯一、美味い魚を食べることに関しては、やや幸いしてるようなところがあるのだ。
 というのも、世界一の魚食国民の我らは、それはもう豊富な魚に囲まれている。季節ごとに様々なのが出てくる。で、初物とかがありがたがられるのだが、そいつが本当に一番美味いか、というと、どうかと思う。
 早い話がアレだ。初ガツオ。こいつは江戸っ子なら女房を質に入れてもぜひ食いたい。食わなきゃ名折れだとばかりに、今でも春どきには、皆こぞってカツオに飛びつく。だが、我輩は何しろ天邪鬼だから、もちろん食わない。そりゃ初ガツオだって、さっぱりした味わいもまあ乙なものだがな。やはり我輩は、そう、ちょうど今のこの季節、三陸方面から栄養分をたっぷりと食べて南下してくる戻りガツオが、脂がぴんぴんと乗って最高に好きだ。だいいち安い。女房が質草になるかは別として、何も無理しなくても、はした金で食べられる。
 それから鰻もそう。土用の鰻というくらいで、あれは夏の食い物だと思っている御仁もおるが、暑い時分に皆がせっせと食べてるのは、あれは養殖。もちろん、養殖ものだって美味い。脂も乗ってるし、口当たりがいい。が、本当に精がついて、ホクホクとした、えもいわれぬ味わいといえば何といっても天然物。天然鰻もやはりこの季節にしか食べられない。
 もっとも食いものなんてのは、人それぞれ味覚は千差万別だから、好きにやれば良い。だがまあ、少しでも他人と違ったものを試してやれ、なんて方が、より美味しいものにありつけるのではないかな。
 ふふふうふふ。

 初物を食べると七十五日長生きする

 「初物七十五日」といって初物を食べると七十五日長生きするという諺があるな。初物はありがたいものだ、縁起の良いことだ。
ところがこの言葉がどこからきたのかというと、実はそれが死刑囚からだということはあまり知られておらんようだ。
 江戸時代のこと、大伝馬町の牢屋敷の死刑囚が小塚原や鈴が森に引っ立てられる際に、町奉行が最後の温情として、囚人に食べたいものがあれば何でも食べさせてやるという慈悲を施していた。あるときひとりの囚人が所望したのは時期はずれのもの。現在のように冷凍保存などない時代だ。といって、最後の望みには違いないからこれを無下に断ることもできない。そこで時期となるのをまって囚人に与えることとなった。囚人はまんまと七十五日も延命できた、というのがこの話の出所なのだ。
 もともと縁起でもないこんな逸話が、長命のまじないへと変化してしまうところに江戸市民のバイタリティを感じてしまうわけで、初物を食べることが何より贅沢だった時代、初ガツオを食べることに並々ならぬ情熱をかたむけた、その心情をみることができるように思うぞ。


 イシモチでさつま揚げをつくる

 きょうびは亭主連だって料理のひとつも作れんとな。休みの日にマイ包丁なんぞを取り出して、ササッと一品仕上げたら、ちょいとカッコいい親父になれるかもしれぬ。
そこで今日は家庭でカンタンに出来るさつま揚げの作り方を伝授いたそう。さつま揚げなんぞ買ってくりゃいいじゃないかと思うかもしれんが、それは大間違いだぞ。こいつは自分で作るとまた格別な美味しさなのである。
 この季節は最高のイシモチが手に入るんでこいつを使うとしよう。イシモチという魚は頭の骨のなかに石を持ってるからこう呼ばれるのだが、発達したうきぶくろから「グーグー」という大きな音を出すのでグチとも呼ばれておる。魚屋へ行って買ってくるのは俗にシログチと呼ばれる全体が銀白色のやつなんだが、よく似たニベって魚をイシモチとかグチとか呼ぶこともあって、まあこいつでもOKだ。あ、よく「ニベもなく断る」なんて言い方をするが、これはこのニベのうきぶくろが接着剤の材料に使われていたことから、取りつく島もない、という意味の言葉がうまれたわけで……などとウンチクを傾けながら、せっせとすり身をこしらえるのが物知り風でポイントが高い。そうそう、すり身は必ずサンマやイワシなどの青魚もいっしょに合わせることだ。その割合は見た目や歯ごたえの好みで違うが、まあイシモチ6:青魚4で良い感じであろう。
 さて、このすり身が大体500gで4人前。これに水をぎゅっとしぼった木綿豆腐半丁に卵1個、小麦粉と味噌を少々加えてすりまぜる。ゴマやらゴボウを加えてもいいぞ。これを厚さ1cmほどの小判型やら円形などに整形して、中温の油でゆっくりと揚げる。
 ま、なにげにこんなのを食卓に出したりすると、「お、スゴイ!」と、またまたオジサン株を上げちゃうぞ、の巻。


 幻の魚を食った!(自慢)

 うまいものを食べると思わず人に言いたくなるが、なかでも滅多に食べられない珍しいものを食したときなどは、ぜひ自慢してみたい。
 あれは我輩がまだ魚河岸に来たばかりの頃だ。オヤジさん連中が集まってなにやらガヤガヤと騒がしい。見ると大きさが2mもあるかという、それこそ大人の背よりもずっと大きい魚を取り囲んでおるではないか。こいつはイトウって魚で、いわゆるマスの親玉だ。世界に4種類しかいないやつで、夏ごろに北海道あたりでちょっとだけ採れる珍しい魚なんだそうな。普通、サケなんかは産卵すると死んでしまうのが、こいつは産卵後も堂々と生きていて、何年にもわたって産卵をくりかえすしぶとさを持っていて、およそ20年もかけて最大で2mを越す体長にまで成長するという淡水魚では世界最大の怪物だ。何しろシカを丸呑みにして、そのツノで腹を破られたなんて話が伝わっているくらいで、まあ、それは眉ツバとしても、とにかく見た目のインパクトはものすごいわけだ。
 その化け物じみた魚を、やっぱり化け物みたいな魚河岸の連中がよってたかって食うわけであるからまさに地獄絵図。七輪なんかじゃ焼けないので、ガン箱のでっかいやつに木箱ごと突っ込んで、原始人がノロシを上げるようにモウモウと煙を上げながら豪快に焼いた大イトウに生醤油をぶっかけて、みんなしてむさぼるように食ったのであった。
 まあちょっと大味ではあったがな、忘れられないといえば、まあそんな味。今ではあんな大きなイトウなんてお目にかかることは出来んし、それどころか種族じたいが絶滅の危機に瀕しているくらいだから、食材なんてとんでもない。保護が望まれる魚になってしまった。
 自分の身体のどこかにはそういう珍しいものを食べたということが残っていて、いまだに何か生命力の源となっているような気がしてならん。そういや、あの時いっしょに食べたオヤジ連中、今じゃすっかりジイサンになっておるが、一人残らずピンピンしておる。
 しぶとい魚河岸の連中の生命力はどこから来ているのかというと、実は陰でコッソリと「何かを食っている」からに違いない。

 すご〜く臭いすご〜く美味い、栄養満点のすごいやつ

 あー、諸君、元気かな。うまいもの、ことにうまい魚を食べて健やかな毎日を送っていることと思う。よろしい、実に宜しいことだ。
 さて、我輩は今、人生の命題について深く考え込んでおるところだ。鮒寿司を前にな。果たしてこれを開けて良いものかどうか。寿司の原型ともいうべき「なれ寿司」のひとつ鮒寿司について何か話でもしようと思ったのだが、実のところ我輩はまだ鮒寿司というものを食したことがない。何でもたいそう臭いということは聞き及んでおるのだが……まあ、ここは意を決して開けみるぞ。ふむ、よほど厳重に封をしてある。よっと、開いた。さっそく臭いを嗅いでみましょうか。(スー、ハー)……ほう、ふむ。全く何もにおわんぞ。何だこんなものか。拍子抜けだな。科学の進歩はついに鮒寿司から臭いを取り除くまでに至ったのであろう。
 さて、寿司というものは今から1700年も前に東南アジアから伝わったと言われておる。現在のものとは違って塩漬けした魚を米で発酵させた保存食、言ってみれば魚の漬物みたいなもので、当時としては実に贅沢品……何と! この鮒寿司、皿からはがれないと思ったら二重に密封しておるではないか。におわないどころではない。まるで危険物といわんばかりの厳重パッケージ! ううむ恐るべしは鮒寿司よ!
 おっと思わず昂奮してしまったが、さて、鮒寿司の名産地は琵琶湖。ここではたくさんの鮒が獲れるが何しろ淡水魚は鮮度が落ちやすいためにこのようなものが発達したのだそうな。臭い、臭いと申したところで、一度食べたら病みつきになる美味であるからな。そしてまた整腸効果をもたらす自然食品・健康食品の傑作……ングッ、こ、これは……いやはや、何と申せばよいやら。目にピリリと鼻にツーンと、目ピリ鼻ツンの刺激臭に抱きすくめられたような陶酔感。いや、このかぐわしい香りをネットを通じて諸君にお伝え出来ないのは実に惜しい……初心者はこう、ハナヲツマンデイタダクノガコツデ……くぅー、なかなか来るぞこれは。何か脳の奥に浸透していくような深みというか、遠くへ連れていかれる風味。おおそうだ。勇気があったらこのくっついている酢飯も食べても良いぞ。ダイレクトに体内に取り込まれて腸内の毒素が一掃される。最強の栄養と臭いを誇るなれ寿司。いにしえの人々の考え出した食物の傑作を皆もぜひ試すと良いぞ。


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