古代人も大好き、アカガイ

 縄文人100人に聞いてみたところ、一番好きな食べものは何といってもアカガイなのだそうだ。54人が「それが好き」と回答した。
 貝塚というのがあろう。ゴミ捨て場。あれを調べてみると、だいたいそのくらいの比率でアカガイの貝がらが出てくる。なぜかというと、アカガイは肉量が多くて採りやすいから。食糧の確保は死活問題たったから、まさにうってつけの食材だったわけだな。
 まあ、古代人もいろいろと苦労は多かったのだろうが、我輩の食い物観からみれば、けっこう良いぞ、という感じだ。中の上の生活だ。なにしろ新鮮なアカガイを生で食べるのは最高だものな。
  寿司屋に入ってアカガイを注文したときに、見事に赤いやつが、こう、ふっくらとふくらんで、シャリの上で小踊りしておったら、多少人生に疑問を感じているときでも、どうでもいいぞ、と思ってしまう。
 さて、こいつを自分で食べようというときには、絶対に殻ごと買ってきて、食べるときにはずすのが良いぞ。だが注意したいのは、サルボウガイっていうよく似たやつがいること。見分け方は、アカガイの殻は溝が42、3本なのに対して、サルボウガイは32、3本と少ないのと殻の色がアカガイよりも白っぽいところ。まあ、よく見れば分かるだろう。
 買ってきたら、身とヒモとハラワタに分ける。ハラワタは捨ててしまおう。身は包丁で開いてから細く切って食べる。ヒモは刺身でもいいけど、バター炒めにしても良いぞ。
 あばばばばばば。


 
 見ていて飽きないサザエ

 魚介類のなかでもサザエほど観察していて面白いものはない。その色やかたちからたくさんのことが分かるぞ。
 まず、食べている海草によって殻の色が変わるという特徴があるな。黄色味をおびたサザエならアラメを食べて育ったやつ、緑っぽい色だったならテングサを食べたな、という具合。
 らせん状の塔は6階建。この先っぽのところが緑色ならオス。クリーム色ならメスだ。
 また、フタのうずまき模様を見れば、そこについている筋の数で年齢まで分かってしまう。
 それからツノがサザエのシンボルだなって思ってると、内海にはツノのないやつもいて、「おっ」とかびっくりしたりする。こいつは「丸腰サザエ」なんて呼ばれている。
 そうしてよく観察した後は、美味く食べてしまおう。
 レストランなどではやけに手の込んだ料理を出すが、そんな気取ったことはしないでも良い。ここは豪快に猟師の食べるようにつぼ焼きにしてしまえ。こいつは殻ごと火にかけて、熱が通ったところで醤油と酒をそそぐだけ。いたってシンプル、それでいて最高に美味いぞ。
 はははははは。


 
  江戸っ子は好きじゃなかったカサゴ

 ちょっとした法則であろうか。顔の悪い魚ほど美味いということがあるな。オコゼもカジカもアンコウも見た目悪いが美味いであろう。
 ゴツゴツした顔がカサブタにおおわれているみたいなので「瘡子(かさご)」というひどい名前をもらってしまったカサゴもごたぶんにもれず味なやつだ。
 近頃じゃ高級魚だが、昔はまったく人気がなかったそうだ。江戸っ子は「アンポンタン」なんて呼んでいたらしい。
 「けっ、なんでぃ、この魚ァ。」
 「顔もまずけりゃ、喰ってもまずいや。こりゃ、アンポンタンだ」
 江戸っ子はカサゴをまずい魚の代表のように扱っていた。なぜだろうな。当時の味覚はそんなものだったのか。今では刺身にしても塩焼きにしても、から揚げ、煮付け、鍋物と、どうやっても美味いのにな。
 何しても美味い。が、この魚の欠点は、何といっても頭がデカイこと。食べるところが少なく、物足りない。だからカサゴを徹底的に食べつくす一番の方法は、一尾そのまま使ってダシを取ることだ。吸い物にしたり味噌汁にしたり、ちょっともったいない気もするが、飲んでみるとこんなに美味いものがあるかというくらいの味だぞ。
 なかでも「カサゴ酒」というのが絶品。これは小ぶりのカサゴのウロコとエラ、ハラワタをていねいに取り除いて水洗いし、薄く塩したら、まるごと弱火でじっくりと焼く。こいつをどんぶりに取って、熱燗を注ぐだけ。
 腹の底から幸せがこみ上げてくる味わいだ。
 ふふふふふふふ。


 
  日本人の心が染みわたっている

 世界のどこの国よりも魚を食べる日本人は、その料理方法ひとつ取ってみても、煮て、焼いて、干して、漬けて、そして生でと、あらゆる食べ方をする。また、数え切れないほどの魚の民話があるように、心情的な思い入れも格別のものがあるな。言ってみれば、我々の血には海の幸が流れ込んでいるといってもいいだろう。
 こんな国は他にはないわけで、外国人からみれば、魚食国日本の実情なんてとても理解できないにちがいない。国際的な漁業問題がこじれるのは、結局魚に対する意識の差だともいえまいか。
 さて、あらゆる魚に親しみを持つ我々だが、とりわけ好む国民的な魚といえば、やはりタイであろう。ひと口にタイといっても刺身、塩焼き、ちり鍋、カブト煮、みそ漬け、粕漬け、タイみそ、タイのデンブ、広島のタイめん等々、料理方法の豊富さは魚の中でも最も多いし、それからキンメダイ、アコウダイ、メダイなどタイの人気にかこつけた名ばかりのタイだけでも、その数ざっと200種類にものぼる。そればかりか、最近はあまり見ないが、結婚式などの祝い事に出される砂糖までがタイのかたちをしているという、まことにタイはめでたい魚、まさに日本人の心が染みわたっている魚といえるだろう。
 ところが、日本以外ではタイはとんでもない下魚。アメリカでは食用魚とすら思ってなくて肥料にしているというし、中国ではタイは死肉を食らう魚として忌み嫌う風習があるそうだ。
 いったい何たることか!
 所変ればということであろうが、魚食は文化。よその国のことをとやかく言う必要はないが、魚ひとつにこれほどの思い入れを持てる日本人の感性というものを、大切にしたいものだ、とつくづく思うのであった。


 
  イカナゴの釘煮

 神戸市須磨の名物に「イカナゴの釘煮」というのがある。これはイカナゴを煮崩れないように真っすぐに煮上げたかたちが釘のようだからつけられた名で、その大きさによって五寸釘とか三寸釘なんて呼ばれておる。イカナゴというと脂が強くて、ちょっと苦手という者もいるが、釘煮はうまく脂抜きしてあって、なかなかに上品な味わいだぞ。
 東京ではコオナゴ(小女子)というかわいらしい呼び名がある。名前はキュートでもやはり脂が強く、戦前にはここから灯油をとったという。特に大きなものほど脂が多く、ちょっと鮮度が落ちるとアブラやけしてしまう。だからちょっと小ぶりな新鮮なものを買うようにして、白焼きで酢じょうゆなんかで食べると良いぞ。これはこれで美味だ。
 それからこいつの稚魚でシラス干しみたいにしたのをカマスジャコと呼び、お茶漬けや三杯酢でかなりイケるぞ。お試しを。


 
  どじょう地獄

 水ぬくむ春になれば、にょろにょろと顔を出してくるドジョウ。童謡にも謡われるかわいらしいドジョッ子だが、こいつを最もおいしく食べる調理法が、世にもおそろしき「どじょう地獄」だ。
 何とも残酷なこの食べ方は、ここに書くのもはばかれるのだが、何といってもドジョウを食い尽くすには、この方法しかない! ということなので、あえて紹介しよう。
 水を張った鍋に、トウフと生きたドジョウ数匹を入れて火にかける。ただ、これだけ。
 最初のうちはドジョウは元気に泳いでいるぞ。やがて水が温まってくると、水面にポコポコとその顔を出してキョロキョロと周囲を見回す。ここで、目は合わせない方が良いであろう。さらに温度が上昇し、トウフが気持ち良さげに揺れ出すと、突然、ドジョウは互いに上へ下へともぐり合い、すさまじい生存競争が始まる。そして、やや温度の低いトウフ目がけて頭を突っ込んで、そのまま昇天していく。最後はトウフと共に崩れたドジョウたちを、ハフハフ言いながら食す。
 ひどい食い方だが、どんな魚も殺生をしてお腹に収めるわけであるから、おいしく食べてあげることが、魚に対する供養なのだと、とにかくそう思い込むことにして、ホクホクに温まったお腹をさすりながら、ドジョウのために念仏のひとつも唱えてみるが良い。
 ひひひひひ。

 
  活ホッキガイは炊き込みご飯がいちばん

 北寄貝と書いてホッキガイ。キタヨリガイではないぞ。よく魚屋に刺身用として、ピンク色のむき身が売っている。見た目もキレイだし、多くの人はあれがホッキガイで色はピンクと思ってるようだが、実はそいつは茹でたやつだぞ。それなりに美味くて食べやすいし、実際ほとんどがこの加工ホッキガイで、それはそれで良いのだが、本場である北海道や東北地方で活ホッキガイを食べると、いやこれが実にワイルドな味。うす紫色の見た目はマズそうなヤツなのだがな。食べてみるとコリコリして、甘みがあって、実にうまい。加工したやつとは全然別の貝っていっても良いくらいだ。
 もしも運良く加工していない活ホッキガイを手に入れることが出来たら、生でも良いが、断然、炊き込みご飯をすすめるぞ。ホッキガイの足ともどした干しシイタケをといだ米の上にのせて醤油、みりん、酒を加えて炊き込む。ホッキガイ1個を1人分くらいの見当で作ると、これが実に美味。忘れられない味となるであろう。


 
 春告魚――ニシン・ゴールドラッシュの夢のあと

 かつてニシンは無尽蔵といえるくらいの漁業資源で、北にニシン、南にイワシと言われるほど食用として流通し、また肥料としても農業の基盤を支えたという。
 北海道留萌市の日本海沿岸には「ニシン番屋」と呼ばれる大広間をとった豪壮な建物が並び、「ニシン街道」と呼ばれておる。江戸時代から明治にかけての大豊漁期に土地のニシン長者たちが建てたもので、かれらは札束の入れ場所にタンスを使い、着物はタタミの上に積みあげていたというエピソードが残っていて、まさにゴールドラッシュといえるくらいの好景気に沸いたということだ。
 春告魚のあて字を持つこの魚は、北海道に遅い春の訪れを運ぶもので、ある日、海鳥が騒がしく群れ、その下を無数のニシンが折り重なりながら、押し合いへし合いしつつ、海岸に殺到してくる。このときは、漕ぎ出した船も梶が利かなくなり、大量のニシンのために船が持ち上がったとすら伝えられている。
 しかし、明治三十年の97万トンをピークとして、ニシンの漁獲量は減少の一途をたどる。昭和三十年代にはピーク時のわずか500分の1にしかすぎない2千トンにまで落ち込み、豊漁時には乾物屋の店先に山盛りにされた干しカズノコ、売買の際に道ばたにこぼれても見向きもされない大衆食材だったのが、「黄色いダイヤ」と呼ばれるようになったのは記憶にあたらしいことであるな。
 近年になって、時折、豊漁がみられるようになり、留萌の人びとは在りし日の栄華をふたたび夢みるように、春先になると、遠い波の向こうを見つめている。


 
 もったいないから全部食べちゃえ!

 ミルクイ、またの名をミル貝。
 これは水管に海草がくっついている様子が、海草を食べているように見えるからで、「海松(ミル)食い」から来たというのだが、ところが魚貝図鑑などで調べても、この海草はまったく別のもの。いったい「ナニクイ」なのであろうか。
 さて、このケバケバの水管を出しっ放しの奇妙な二枚貝。実は大変な高級品で、寿司屋さんでうっかり注文すると、値段にびっくりすることがあるぞ。というのもこいつは大型のものだと1個が2、3千円もする上に、一般に可食部とされるのは、飛び出た水管部分だけで、これを洗い、皮を剥くと真っ白のきれいな肉が現れるが、さて寿司ネタとして握ってみても、せいぜい3〜5個分にしかならないからだ。まさに希少価値というものでしあろう。
 ではそれ以外はというと、本体の身の部分は、味が薄く、水っぽいということで、たいてい捨てられてします。うーむ、何とももったいない。我輩などは、市場で生で買ってくると、本体部分もすぐ塩水で洗い薄く切って刺身にするとか、あるいは5ミリほどに切ってフライにしたり、塩焼きで食べたりと、これはこれで結構美味くいただく。とくに晩酌のツマミなら十分かもしれんぞ。
 ところで市場では「白ミル」の名前で、貝が白く、水管にケバケバのないやつが売られている。これは「ナミガイ」いうやつで、希少な「ミルクイ」の代用品の役割を果たしており、安く買えるぞ。本物の「ミルクイ」を手に入れようと思ったら、「本ミルない?」とたずねると良い。


 
  ヘソ曲がりな東京人のお気に入り

 釣り好きにはおなじみの魚にギンポというのがいる。体型が細長くハゼに似ていて、テトラポットの陰や港のゴロタ石の間からひょっこりと顔を出す様子がなかなかユニークだ。頭と尾びれがやけに小さく、泳ぎ方もどことなくひょこひょこと頼りなげで、魚としては不恰好だが、くりくりした目が独特の表情に富んでいて、見ていて飽きんぞ。
 ギンポは日本中どこでも見られる魚だが、食用としてはまず見向きもされん。煮ても焼いてもうまくないからな。だが、まずい魚だと言われれば、じゃあ何とかうまく食ってやれ、というのがヘソ曲がりの東京人。こいつを油で揚げて天ぷらにしたところ、意外や意外、これが実にうまかったという。ちょっとアナゴのような、むしろもっと歯ごたえもあり、何とも乙な味といおおうか。以来、ギンポといえばちょっと斜に構えた東京人の食べ物というイメージが出来たそうな。
 とはいえ、東京の天ぷら屋さんならどこでもこいつがあるというわけじゃない。まず市場に入荷するような魚ではないので、あまり出回らないのが理由のひとつ。また、ギンポの背中にはトゲがあって、ちょっと触ると手が血だらけになる上、天ぷら用におろすには骨切りがなかなか難しい技術のいる魚で、職人も手間を惜しんで嫌がる場合が多いんだな。
 だから、これをお客に出そうなんて天ぷら職人は、いかにも東京人らしい気概を持った人であろう。そんなお店に出会ったらラッキーだ。早春の味覚を存分に楽しみたいものである。だが注意しなきゃならないのは、ギンポの天ぷらは出されたらすぐに食べること。たとえ口がヤケドしようとも急いで食え。冷めたギンポ天はまったく美味くも何ともない。


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