春まだ浅き北国の味覚

 3月の声をきけば、いよいよ桜の季節も間近ということで、心はすでに春に向いているが、ここで冬の名残りなど味わってみるのも良いであろう。桜前線の北上が伝えられる一方、北国の春はまだまだ遠く、ようやくの雪解けのうちに、ささやかに春への想いをつのらせる。
 この季節によく獲れるのがモクズガニ。俗にモクゾウと呼ばれる淡水に生息するカニで、とくに産地である秋田の人たちには、このカニでつくったモクゾウ汁を食べるとようやく春が近づいたなと感じるそうだ。春先の味覚としてとくに思い入れ深いものだというぞ。
 モクゾウ汁はカニを生きたまますり鉢で、見も殻も形がなくなるまで徹底的にすり潰し、さらに熱い味噌汁を注ぎながらも、さらに摺り続けてカスをとり、これを火にかけて野菜や豆腐を入れたもので、カニの味が隅々まで溶け込んで、じんわりと身体を温めてくれる逸品だ。
 もちろん普通に焼いて食べても美味いのだが、何しろこいつは食べるところが少なくて、身をほじるのにもひと苦労。それに「モクズ」の名前の由来である藻クズのからんだ毛だらけのハサミがたいそう恐いもので、挟んだものを離さないといい、本当に指をもがれた人もいるというのだから注意が必要だ。
 ここはひとつ、季節の橋渡しモクゾウ汁で、近き春を待ちながら見も心も温まりたいものだな。


 
  その手は桑名の焼きハマグリ

 何たって焼きハマグリ。もちろん潮汁も美味いし、クリームソースにからめても抜群だが、やはり最高なのはシンプルな焼きハマグリに限るかのお。
 今日は勝浦産のものを手に入れてみたが、ハマグリもピンキリで、その良し悪しはなかなか見分けられないものがあるぞ。最近は天然物が激減して養殖の身の小さなものが増えたし、シナハマグリとかチョウセンハマグリとか輸入物が幅を利かしているからな。こう、見た目できれいな模様をしているのが国産物だというが、ちょっと見には分かりづらいぞ。
 ハマグリはその形が栗に似ているということで《浜栗》と名づけられのがその由来なのだそうだが、不思議なものでこの2枚貝はぴったりとくっつき合い、世界中どこを探しても他の貝とは合わさらないという。そんなことで、ハマグリは古くから夫婦和合の象徴として、婚礼には欠かせないものとなっていたんだな。
 さて、ハマグリを焼くときは、ぜひ汁をこぼさないようにしたいものだ。そのためには蝶番の方を下に向けて立ててから、パッと手を離し、コロリと転がった下の方に身が入っているから、このまま焼くと口を開けたときに身が上に付かず、汁がこぼれることがないぞ。これをぐっとやると、もうそれだけで幸せ感でいっぱいになる。
 その昔、シギという鳥がこいつをパクリとやろうと、その鋭いクチバチで挑みかかったそうな。ハマグリの方は食われちゃたまらんと、2枚貝でクチバチをギュッと挟んだまま離さない。双方が硬直したままになっているところに一人の漁師が通りかかり、労せずしてシギとハマグリを手にしてしまったという、これが「漁夫の利」というものだ。


 
  貝から生まれたベーゴマ

 最近、懐かしい昭和の遊びが見直されておるな。我輩の子どもの頃によく遊んだものにベーゴマがある。床を囲んで「チッチッのチッ!」の掛け声で独楽を回す。ベーゴマを強くしようと、よく竹の先につけて道路で削ったりもしたものだわい。
 さて、このベーゴマ。もとはバイゴマといい、バイ(貝)からつくられたコマだったわけ。バイとは巻貝のことで、昔はその貝殻の中に蝋をつめて、それに紐をからめて回して遊んだという。
 そんな子ども時代の郷愁を胸に抱きつつ、この3月はバイ(貝)の美味しい季節だ。とくに富山地方のエッチュウバイは巻貝の中でも絶品の味といわれているぞ。殻つきのまま塩ゆでにしたのを楊子で刺してクルッと回すとスルリと身が取れる。パクリとやれば、ちょっと泥臭いけど、それがむしろ美味くて、カッコつけない味なんだな。
 また、焼いたものも捨てがたい。北国ではツブ焼きといって、バイを焼いたものを夜店で売っている。屋台で立ったまま、楊子で引っ張り出して食べるのだが、そのあとのだし汁をすするのがまた楽しみ。
 そうしてひとしきり食べたあと、目の前にはクルリとかわいらしい貝殻がいくつも転がっているだろう。昔のようにベーゴマを作って遊んでみますかな。それとも詩人コクトーのように貝殻を耳にあてて潮騒の音を懐かしんでみようかのお。

 
 
  弥生三月カレイの季節

 「2月3月のメバル、3月4月のカレイ」とか「花見ガレイ」などといわれるように、これからマコガレイが旬を迎える。
 これが何にしても美味いので、魚屋で買ったとたんに、さあどうして食べてやろうかなと迷うほどだが、一般には煮つけと唐揚げに向いているといわれているぞ。唐揚げにするときには、いかだ揚げといって、身と骨を別々に揚げるのがコツ。それぞれを味わおうというわけだ。
 ところで、もしも新鮮なマコガレイを手に入れることが出来たら、ぜひ試していただきたいのが刺身。えっ、カレイの刺身? と意外に思うであろうが、これが実に美味い。カレイなんてヒラメよりもずっと格下のように扱われるし、確かにヒラメと比べると歯ごたえこそないが、とても淡白で上品な、実に得がたい味ではある。たまにはあっさりとした酒肴でいただきたいときなど、ああ、なんてうまいんだろうと思ってしまうぞ。
 何しろ旬の魚が一番。桜もほころぶ弥生の風は、身近なマコガレイも高級魚に負けない味に変えてしまうにちがいない。


 
 セタシジミ物語

 琵琶湖のほとり滋賀県瀬田川で採れる蜆は、その地名からセタシジミと呼ばれ、マシジミ、ヤマトシジミと並んで蜆の代表選手とされるが、そのなかでも、まさにスプリンターともいうべき最高の味だという賞賛の声しきりである。
 ほぼ全国的に生息するマシジミやヤマトシジミとちがい、琵琶湖周辺にだけすむセタシジミにはちょっとした誕生秘話が地元に伝わっているぞ。
 それは江戸時代のお話だ。ある年、瀬田の新藩主に赴任した戸田左門一西、この人は剣を取ってはその豪傑を世に知られるほどであったが、たとえ剣で天下を制しても民衆の心までは治められぬ、民の心をつかむためにはかれらを愛することであると、琵琶湖畔の漁民の保護政策に手をつけたのであった。その代表が蜆の養殖事業で、左門は漁民たちと共に大変な苦労の末これを成功させ、漁民はこの蜆を左門蜆と名づけて藩主をたたえたという。
 近代以降、いくつかの湖でセタシジミの移植が試みられるが、独特の受精、ふ化の方法をもつこの蜆の養殖はことごとく失敗してしまう。やはり愛情ある藩主と漁民との心の疎通がこの豊かな味わいを産み出したという伝説は現代にも生きているのであろう。
 京の町に「しじみ、いらんかえ、瀬田ァのしじみィ〜」という売り声が響くようになると、いよいよ春も本番だ。


 
  美味いウニは昆布に聞け

 好きな寿司ネタはときかれれば、多くの人はマグロと共にウニを挙げるのではないか。とろりと口の中でとろける濃厚な味わいのウニは、寿司ネタの横綱といえるであろう。
 そんな人気者のウニだが、以前は昆布を食べてしまう悪者扱いされてきたことをご存じかな。ウニは北海道に多く生息するのだが、かつてその地が蝦夷と呼ばれていた時代、昆布は松前藩の重要な産物として各地に運ばれていた。ところが、これを食べてしまうウニは現地の人々からはひどく嫌われていて、長い間、それもほんの昭和時代にいたるまで、ウニは捨てられておったのだ。そればかりかウニ撃滅のためにその生息地ごと排除しようとしたというから、実にもったいない話ではないか。昔はウニをあまりよろこんで食べなかったのだ。
 こんな逸話からも分かるように、ウニは昆布が大好き。つまり美味い昆布あるところに最高のウニあり、というわけで、そのありかは昆布に聞けということになる。
 日高昆布、利尻昆布、羅臼昆布等々・・・これらの名産地は同時にウニの名産地でもある。
 ウニの旬は大体夏のように思いがちだが、実際には春先ごろにおいしいバフンウニ、これから夏にかけてが盛りのムラサキウニ、夏場のエゾバフンウニ、そして秋になるとアカウニと、けっこう長い期間楽しめるぞ。昆布に聞きつつ、時期ごとのウニを味わいたいものであるな。


 
  ザリガニ伝説

 ザリガニ料理というのがフィンランドの夏の風物詩だときいた。南米でもザリガニはご馳走だというし、フランス料理にも殻でダシを取りナンチュアソースで丸ごと食べるなんてレシピがあって、これがとても美味いのだそうな。新鮮な魚介類の乏しい地方ではザリガニは地中から獲れるし、料理しやすいしで、なかなか重宝するたんぱく源となっているというわけ。
 さて、魚介類なら何でも食べてみたいという貪欲な我輩が、このザリガニだけはどうにも二の足を踏む。いや、食べず嫌いとかいうのではなくな。
 その昔、東京にも沢山の田畑があって、そこにザリガニがうようよいたものだ。ガニ釣り、ガニ掘りなんて子どもの遊びの定番で、ザリガニは子ども生活にはなくてはならない存在だったものだ。そこで、いろいろな話題があるのだが、なかでも「何年何組の誰々はガニ公を食った」というウワサ話。これがまことしやかに伝えられて、ゲェー本当かよ! となるのだが、何でも全国各地に同じような話があるそうで、一種のフォークロアみたいなものだから、本当は誰もこんなもの食べてはいないものなのだ。我輩一人を除いてはな。
 そうなのだ。愚にもつかぬウワサ話に感応した我輩は、何しろ食への探究心旺盛な子どもであったから、これは自分もぜひ食わずばなるまいと、池で捕まえたガニの尻尾をもぎ、殻を取り、腸管を引きずり出して、手近な水道でジャバジャバと洗うと口の中に。そのときのえもいわれぬ甘苦さ。えびせん入りの土饅頭を食べたならさしずめこうだろうというその後味がつい昨日食ったかのように30年間も口の中に残っておる。
 その呪縛めいた経験が我輩をして今もザリガニ料理を苦手とさせているのだが、いつまでも嫌いなのもシャクなので、もうガニ大好き!という友人に連れられて、とあるレストランへ行ったものだ。で、食べてみたところが、これがすごく、まずい! 不味いぞ!! 野生のガニ公の方がまだマシというような代物で、どうやら向こう30年も呪縛は続きそうだ。
 誰か本当に美味しいザリガニ料理を教えてくれんか。


 
 浦安人はバカで蔵を建てた

 通称「バカ」といわれるバカガイは二枚貝の仲間で、オレンジ色の足が酒の肴にピッタリで大変おいしい貝だ。それにしても何故こんなひどい名前をつけられたかというと、江戸時代の本によると「殻が薄くてすぐに破れてしまうから」なのだそうだ。
 実際バカガイの殻はすぐ壊れてしまい、「剥き子泣かせ」と呼ばれる。この「剥き子」とは貝の殻を剥いて身を取り出す人で、多くは女性の労働力でした。その人たちが剥きづらいとこぼしたのがバカガイ。でもそれを易々と剥いてしまうプロフェッショナルな「剥き子」の集団が浦安に集中していた。
  浦安は馬鹿の貝で倉を建て
 などと川柳でうたわれたのは、バカガイは浦安産が最高とされていたからだ。
 人が「バカ」と笑うこの貝はバカみたいに売れ、しかも浦安以外のものはダメだとバカにされたものだから、そのおかげで浦安の漁民たちは大きな商いをしたといわれれている。
 一方、浦安以外の産地では何とか自分たちのバカガイも売りたいと考え、千葉県市原市青柳の漁村では自分のところの地名をとって「アオヤギ」と命名して出荷したところ、つねづね「バカガイ」では聞こえが悪いと考えていた寿司屋らがこれを支持し、今ではこちら「アオヤギ」が通り名となっている。
 だから寿司屋では「バカガイ」とは注文しない。だが、浦安の人たちは今でも自信と愛着をこめて「バカ」と呼んでいるのだ。


 
 弘法大師の感謝のしるし

 その昔、弘法大師が諸国を巡っていたときに、紀州の和深浦(かぶうら)という地に立ち寄られた。喉が渇いていたので漁民に水を所望したところ、「旅先で生水を飲むのは身体に毒ですから」と言って茶湯を出してくれた。弘法大師は漁民の好意にいたく感謝し、沖を指さして「あの岩礁のところで魚が獲れる」と教えたという。
 漁民がその場所に行ってみると、そこには見たこともない魚の巣があった。漁民たちはその魚を「菩薩魚」とか「大師魚」と呼んで尊び、その言い伝えを後世に伝えたという。
 その魚がイシナギと呼ばれる全長2メートルにもなる大魚。イシモチと同じく肝油やニカワの原料になったりもするが、夏場にはこれがなかなかおいしくなって栄養もあるぞ。
 市場などで買ってきた場合には、タタキにするのがいちばんのおススメ。身に軽く塩をして、テフロンフライパンに脂を引かないで最初に皮を良く焼き、表面を強火で焼ききる。身の中心は生という加減で焼くのがコツであろう。


 
 塩を運ぶ魚

 昔は今では考えられないくらい塩というものを大事にしたのだそうだ。
 徳川家康が江戸幕府を開いたときも、何よりも先に塩田開発に着手し、「行徳塩田」を天領とし、そこから江戸市中まで塩を運ぶために人工の「小名木川」を開削したほどだから、塩の流通というのは最重要政策だったわけだ。
 日本は四方を海に囲まれていますから塩は豊富に採れる。しかし、問題なのはこれを流通させることで、重くて運びづらい、積み上げれば湿気を帯びる、雨に降られれば台無しになるなど、塩は大変やっかいなものだった。しかし、山間部での塩不足は深刻で、日本では岩塩というものがほとんど採れず、何とか海から運んでこなければならん。
 先人は何とか簡単に塩を地方に運ぶ方法はないかと知恵を絞った。そこで編み出されたものが、塩漬けにした魚に塩を抱かせる「塩蔵」という方法だ。これにはシャケが用いられた。というのも多くの魚は脂肪が酸化しやすいのに比べシャケの脂肪はとても安定しており、しかも大量に漁獲される魚だったからだ。
シャケの塩蔵を荒巻と呼ぶ。内臓を除き、そこにこれでもかというほどの塩を詰める。そうしてシャケ自体を長持ちさせるとともに、遠く山間部へ塩を流通させたのだ。
 正月に荒巻鮭を送ったのも、シャケそのものがよろこばれただけでなく、貴重な塩の贈り物として人気があったからなのだな。


戻る