It(Came from the Mars):邦題『火星人築地にあらわる!』

 火星――地球より約5000万キロ上空に浮かぶこの魅惑の惑星を、我々人類はまだ何も知らない。だが太古の昔より、かれらはその赤い目でつねに地球を監視し続けてきたのである。かれら――すなわち地球を我がものにせしめんと虎視眈々と狙う火星人たち――が、今世紀最大ともいわれる火星大接近に乗じて、ついに地球侵略を実行に移すのだ・・・

 それは突然やってきた。明けの夜空を切り裂くように赤い隕石が長く尾を引いて東京湾へ落下すると、ふいに何かが水面から顔を出し、キョロキョロ周囲を見回しはじめた。恐るべき侵略者たちの先兵である。やがてそいつは攻撃目標を捕獲したのか、ゆっくりと移動を開始した。その先にあるもの――都民の台所、築地市場の朝のセリ風景に向かって。
 “$%&、;##尿?§(ピピッ、報告シマス。地球人ハ、ワリト早起キノヨウデス)”

 さて、そんなこととはツユ知らず、築地はいつもの喧騒に満ちた朝を迎えていた。響き渡る怒号やターレの行き交うなか、トロトロとマグロを運んでいるのは、マグロ仲卸の配達員トロ吉である。
 「オレってイキな河岸の若い衆なのに甘党なんだよな。ああ、きんとんでも食いてえ。」
などとつぶやきながら、マグロを引いていると、ふと足下に奇妙なものが落ちている。
 「何だい、こりゃあ」
 それはナマコのような形をした半透明のゼリー状の物体で、これまで見たことのない、しいていえばポマードみたいとでもいおうか、およそ魚河岸には似つかわしくない代物だ。
 「もしかしたら、きんとん、かもしれねえ」
 何を思ったのかトロ吉は不注意にもポマードみたいなのに触れてみた、その瞬間である。邪悪なポマードはトロ吉の手に食いついたかと思うと、あっというまにかれの全身を包みこみ、外側からバリバリと食いつくしてしまった。いや、食ったというよりも、毛穴からトロ吉の身体に侵入したというべきか。なぜなら、そこには元と変らぬトロ吉が立っていたからである。しかし、すでに別のものに入り込まれたかれはもはや人間ではなかった。
 “$%&、¥$屍#%?・・・(ピピッ、報告、侵入完了。コレヨリ作戦開始シマス。チナミニ地球人ノ好物ハ、キントン・・・)”

 「おい、トロ吉、手前いってえ、どこで道草食ってやがったんだ、ええ!」
 「キントン、キントン、キントンハドコ。ワタシニキントン食ベサシテ・・・」
 「何ィ寝ぼけてやがる! 早くこの荷物を茶屋へ運ばねえか!」
 親父に怒鳴られた火星人は、小車にダンボール詰のマグロを満載し、茶屋へ急ぐ。
 「終ワッタ。早クキントン食ベサシテ・・・」
 「ばかやろう! ぼやぼやするねえ! 次は“ミガキ”だろ!早くかかれ!」
 山と積まれた冷凍マグロのコロを片刃で削る作業に火星人は目を白黒させている。
 「キ・キントン・・・」
 「終わったか? よし、それじゃあ冷蔵庫行ってマグロ1トンほど持って来い!」
 「ヒィィ・・・キントーン!」
 「よし、これで終わるか。ははは、今日はまるでバカみたいに仕事が楽だったろう? あ、ついでだから、今もって来た1トンのマグロ、また元に戻しとけ! ん、おい、トロ吉・・・あいつ、どこ行きやがった?」
 その頃、空に向かって猛然と逃げていくポマード状の物体があった。
 “$%&、!屁*@<^・・・(報告、地球ハ過酷ナ労働ト不当ナ報酬ノ横行スル地獄ダ。地球人ハ鬼ノヨウナ恐ロシイ顔デ怒鳴リチラス、アナドレナイモノナリ。侵略計画ハ再考サレタシ、キントン食ベタイ・・・)”

 こうして地球は火星人の魔手より救われた。とりあえず築地のマグロ屋によって・・・



 昭和浪漫 モダニズム君 
  (第1囘)大東京のペイヴを行かう!

  この大都會の路を歩くのは良いことだ
  この大都會の夜を唄ふのは良いことだ
  ペイヴを踏むステツキ・ガアルの靴音
  ハミングする路面軌道のパンタアグラフ
  ゴーストップ! ゴーストップ!
  カフエにもデパアトにもメトロにも
  憂ふべきかの女の横顏がある
 
  かの女――この大東京の
  すべてのイットを孕んだ非形式メトロノオム!

 僕の名はモボ男。
 1920年代に青春を迎へたかった根からのモダニストだ。
 築地市場のとある海産物問屋の次男坊に生まれた僕は、
 日がな一日ぶらぶらと過ごす、所謂高等遊民といふやつだ。
 何しろ前時代的で封建的で男尊女卑で野卑で低級でしょーがないこの魚河岸だが、
 ひとつだけ好きなものがある。
 仲買店舖のくねっとカーブしたところ。
 あそこはモダァンだ、素敵だ!
 アールヌーボなフオルムにグッと來て思はずエジヤクレヰトしちゃいさうだ。
 かつてここには鐵道が架設してあったのだが、今では車が主流となり廢止された。
 總てはスピード時代といふことか。
 さう、スピードだ! この都市はスピードの展覽だ!
 スピードとジヤズだ! ジャズ! ジャズ! JAZZ!
 新時代のリズムでペイヴを行かう!
 ジャズこそがこの大都會の血液たる音樂だ!
 最早それ以外は容れないのだ!

 でも、モー娘は許す。あややもね。


 昭和浪漫 モダニズム君 
  (第2囘)四季派のミチゾウ君登場

 大東京の春は未だ淺いとはいえ、啓蟄の氣に滿ち滿ちてゐるではないか。
 さう、このモダニストの耳には、すでに春の息吹きが聞へてくるのだ。
 かうなったら、出かけるしかあるまい。お洒落をしてな。
 ダバダバのセーラーパンツにノックスの帽子、
 アツシユのステツキくるりと囘せば、ちよいとその邊ぢやあ見ないモボな僕さ。
 さて、それではまずは資金を調達するとしやう。

 「おっ母さん、ちょいと社會科學の書籍を買ふから、お金をお呉れよ」
 「おや、またマルクスかい? どうでも良いけど特高には氣をつけなよ」

 おっ母さん、いくら何でも今どき特高はないぜ。
 それにしてもちょろいもんだ。20圓もせしめたぞ。
 ぢゃあ鼻歌と共に出かけるとしやうか……

  ♪ さ〜ばくぅにひがおちて〜 よぉるとなぁるこぉろ〜

 や、前を行くのは肺病病みの詩人、四季派のミチゾウ君ぢゃあないか……
 「やあ、ミチゾウ君、相變らず薄命さうだね」
 「さういふ君はモボ男君。良いね君は輕薄で。肺病なんぞに縁はないだらうね」
 「ナニ、梅毒には馴染がある。時に君、何處へ行くんだね」
 「僕はこれからサナトリウムに養生にね。それより君は何處まで?」
 「ああ、僕は……ちょいとマルクスの本を買いにさ」
 「マルクスボウイか、君らしいや。つねに婦女子にモテルことばかり考へてゐる」
 「まあさういったところだ。おや、君、僕と同じ方角だね。サナトリウムはこっちなのかい」
 「うむ、この先に肺病にとても良いといふ施設があってね」
 「これは奇態だね、君と同道とは。だが何だね。淺草の裏手にサナトリウムなぞあったかな」
 「君の方こそ、本屋はとうに過ぎてしまったが、良いのかねマルクスは」
 「なあに僕のマルクスはズボンにしまってある。それよりも君、大門をくぐったが、本當にこっちかい」
 「え、ああ……さう、何て言ったかな。確か、さ、さの、さの……」
 「佐野喜楼か! 何だ君もマルクスか! はははは、確かにあそこは肺病には良いよ。ちょうど僕も行くところだ」
 「へ・へ・へ。さう、冷かすものぢゃないよ。なあ、兄弟!」
 「おう、マルクス兄弟」


 昭和浪漫 モダニズム君
 (第3囘)君戀し、想ひは亂れて・・・

  「モボ男さん、ずつとずつと妾(あたし)、貴方のことを待つてをりましたのヨ・・・」
  「モガ子さん、ついに僕逹、一緒になれましたねえ」
  「ネエ、モボ男さん、貴方の×××何て逞しいのかしら。女はそれを我慢できない」
  「モガ子さん・・・そ、そんなリズミカルなモオションで・・・僕は×××しさうだよ」
  「モボ男さあん!」
  「モ・モガ子さあん!」

 モガ子さあん! モガ子! モガ! モガ・モガ・モガ・モガ・・・・・・・・・はっ!
 ゆ、夢であつたか? しかし夢とは云へ何と眞に迫つた、思はず身體がしつとりしてしまった。
 何でも心理學者フロヰトに據れば、夢は願望の象徴であるさうだ。
 してみると、僕はモガ子に戀をしてゐるのだな。
 そしてモガ子の方でも、このモダニストに一方ならぬ想ひを懷いてゐるに違ひない。
 さうであれば乙女ひとり戀に焦がれ死にしてしまはぬ内に告白するは必定。
 この樣な際に紅毛異人らはヴアレンタヰンなぞと謂つて、チヨコレツトを相手に贈り、
 我が胸中をば告白すると謂ふが、成程、新時代に相應しいアンテリナムな方法であらう。
 さうと決めれば善は急げだ。我がラ・ヴイ・ガアルの爲に是から銀座へと繰り出し、
 素敵な包装のチヨコレツトのひと罐も求めるとしやう。
 をっと、それだけぢゃ色氣もない。ひとつ誘淫的なスケスケのズロースも一緒に買つてやれ。
 では、最新流行歌でも口ずさみ乍ら、颯爽と出かけやうかな。

  ♪ き〜み〜こい〜し〜、くちび〜る、あせねえどお

 「旦那、五十錢で何うです?」
 ふふん、圓太郎とは幸先が良いぞ。普段は青バスだが、今日はひとつ奮發してやらう。
 「運轉手くん、銀座まで頼んだぜ」
 「オーラヰ!」

 ここが戀人まで包装して呉れると評判の三越デパアトメントか。
 まさに最尖端モダアン・スタイルではないか。
 さて、まずはチヨコレツトなどを搜し・・・うわ、高っけえ! 何だこれは。
 小っこいチヨコがひと粒五百圓もしてやがる! 中に寶石でも這入ってゐるのか。
 「その一黨上等なチョコレツトを包装して呉れ給へ」とマネキン・ガアルに命ずる。
 「序でにズロウスも頼むよ。スケスケの奴をね!」
 「はあっ?」

 何か紆餘曲折したが、贈り物も用意したし、モガ子の勤めるカフエ「ワツセルトウルム」に繰り込もう。
 「あ〜ら、いらっしゃい。ゲエ・ギムギガム・プルルル・・・どうぞこちらへ」
 「リキユウルを頼む。それからモガ子はゐるかい?」
 「モガ子さあん! 5番テヱブルにお客さんよお!」
 と、其處へ造花のやうな女給モガ子の登場だ。
 「おや、あんたモボ男ぢゃない。相變らずのオールドスタイルがアナクロだわネ」
 「ふふん。今日は贈り物を持つて來た。ヴアレンタヰンのチヨコレツト。即ち君への愛の證といふやつだ」
 「ほほほ! アンタやっぱしイカレてるハ。アラ、これは何。まあ、スケスケぢゃないの! エログロねえ! まあ良いハ。アンタとはちょっぴり趣味も合いさうだし、妾、アンタのステツキになったげる」
 「それぢゃあこれから銀ブラと洒落こもうか」
 「おっと、その前にリキウルを十杯程引つかけて頂戴ネ」
 「まるで探偵小説のやうだねえ」
 「さうよ、女は千のミステリーを祕めているってネ」(つづく)



 昭和浪漫 モダニズム君
 (第4囘)のらくろに會ひたい

 嗚呼、面白い。面白いつたら面白い。「少年倶樂部」は本當に愉快だなあ。
 新年號の「戰艦三笠」の附録にも吃驚したが、何たつて「のらくろ」の活躍は實に痛快だ。
 この僕の胸を躍らせる最も尊敬して止まない存在!
 嗚呼、「のらくろ」に會ひたいなあ。會ひたくて堪らないなあ。
 と爲れば行動派モダニストとしては實行あるのみだ。
 これから「のらくろ」に會ひに行かう!

 と謂ふ譯でやって來たのは東京市麹町區市谷。確かこの邊だと聞いたんだが・・・
 あ、あれがさうに違ひないぞ。ちやうど入口に立つてゐるあの人に聞いてみやう。
 「一寸伺ひますがナ、此處はアレですか、"猛犬聯隊"ですか?」
 「いえ、此處は自衞隊です」
 「自衞隊? ふうむ?・・・あのお、此方に野良犬黒吉さんはいらつしやいませんかね?」
 「此處にはさういつた名前の隊員はゐません」
 「ああさうですか・・・モウル中隊長の部隊なんですが・・・知らない? さうか、ぢやあ此處ぢやないのかな・・・をやをや! 人が澤山出て來ましたよ。これから出動ですか。山猿と戰爭でも始めるんですかね?」
 「いや、イラクへ復興支援に行くのです」
 「それは、ご苦勞樣です・・・おや、貴方どこかで見た顏だと思つたら、ハンブル上等兵にそっくりですね。そうでしょ! 貴方、ハンブルさんでしょ!」
 「自分は韓國語はよく存じてません」
 「・・・何か話が通じないなあ。でも何うやらここは違ふらしい。や、どうも失禮しました」

 仕方ない、今日の處は家に帰へると・・・をや、あそこにゐるのは、もしかしたら・・・
 さうだ! 確かにあれは「のらくろ」だ! 間違いないぞ!
 あ、これはこれは野良犬さん、どうも黒吉さん、コンチワ! 
 いやもう、いつもご活躍で。實は私はもう大ファンでして・・・
 「ちょっとアンタ、これウチの飼ひ犬なんですがな」
 「あ、これは失禮を・・・あーっ、ブル聯隊長! ていふかブルドックだ。ブルドックがのらくろ連れて歩いてる!」
 「ムカッー! 我輩の氣にしてゐる事を。けしからん! 貴樣のやうな奴はかうしてくれる!」
 ボカ・ボカ・ボカ! 
 「ムギュウ〜!」

 へへへ、またとんだ失敗を讀者の皆さんに見られてしまひました。
 この次は是非胸のすくやうな活躍をお見せしたひと思ひます。
 「自分も早く一等兵に昇進したいであります」
 あ、お前はデカ!!


 マグロスウィーツ

「おいバクバク、キサマここに置いといたオレさまのルックチョコを食っただろ?」
「あ、いただきました。うもうございました。ワタクシのためにうれしき心遣い。」
「ばかやろう! おめえにやったんじゃねえ。オレはチョコ依存症でチョコなしには生きていけねえんだ。しかもルックは4種のクリームがア・ラ・モードな気分をかもし出すしぃ、右から2列目のナッツが特に最高。まさに今、満を辞して食わんとするところを・・・」
「おやおや、アンタらいつも同じようなことしてるんだね。そんなチョコくらいのことで目くじらたてないの。もっとおいしいお菓子を持ってきたよ〜ん!」
「お、メバチ、あいかわらず唐突な登場だな・・・あ、お前の持ってるそりゃ何だ?!」
「マグロだ、マグロの刺身だあ! 美味そう、食べさして!」
「チッチッチ! 素人はこれだから困るね。マグロに見えてマグロじゃない。ゼリーのようでゼリーじゃない。それは何かとたずねたら、は〜い、ついに完成しました"マグロスウィーツ"でございますぅ!」
「どこをどう見てもマグロのサクじゃねえか。」
「そうなんですね。ちょっと見てマグロ。さわってマグロ。ニオイをかいで・・・う〜んマグロぉ! でも食べるとお菓子。ていうか、ようかん?」
「ようかん!? マグロのお!? おいバクバク、お前ちょっと食ってみろよ。」
「言われなくても食べますよ。食べる役でこのシリーズ出てるようなもんだからね・・・あ、これベトベトしてるのねえ。うわ、生臭え。何これ完全にマグロじゃん・・・ぱふっ、うぐうぐ・・・ん! んーっ! ゲロうま〜っ! ていうか、何だいこりゃ、ウヒョーッ!!」
「おい、どんな味なんだよ。」
「こう、脂がのってて、マッタリと口のなかでとろけるところなんか、さすが近海ものって感じ。まさに味はマグロそのもの。ただ甘いだけ。」
「これですよ、これ! まったくマグロの味そのものなんだけど、やっぱお菓子。このテイストを醸し出すのに、いや、ずいぶんと苦労しましたね。これが商品化すれば、ひと儲けマチガイなしってところかな。」
「・・・何かうさん臭いな。変なモノ入れてるんじゃないの? どうやって作ったんだよ。」
「いえ、それは言えませぬ。企業秘密ですから・・・」
「企業秘密だとお。お前どこかの企業の者か?」
「え、そんなこと言われても・・・」
「ほおら怪しい。素性がはっきりしなきゃダメだな。せっかく宣伝してやろうと思ったけど却下。この回はボツ!」
「え、でももう載ってるじゃないの。」
「数合わせで書いたけど、面白くないから全文削除ね」
「えー、せっかく作ってきたのにー!」
「ノコノコ出てきてゲテモノ食いしたボクって何!?」

 以上全文削除。


 歓迎と別離

「五島列島のひとつ木阿弥島っていう小さな島がオレの生まれ故郷なんだよ。島民は全員が漁民でね。港には十数軒の民家があるだけの淋しい土地さ。」
酒ヤケの顔をさらに赤らめながらヤスはしみじみと仲間に語った。東京に出て魚河岸に勤めてから早や十年。いよいよ今日を最後に故郷に帰るという日、長年つき合ってきた連中が河岸引け時に集って、ささやかな酒宴を開いてくれた。宴といっても隅田川沿いの荷捌場に腰をおろし酒をあおるだけの、いたって魚河岸風な別れの風景である。
「でもよお、お前よく決心したな。オレッちは河岸を離れるなんざ考えもつかねえよ。」
そういって茶碗酒をすすめるのは、ヤスと共に小揚の仕事を続けてきたヘイキチだ。
「何しろ河岸の連中ってさ、仕事辞めて他所へ行こうとしても、またここへ戻ってきちまうんだよな。おいロクさん、アンタだって何回仲買を変ったか分からねえだろ。」
「ああ、そうだな。」ロクはスルメをほおばりながらニヤニヤして言った。
「それにしてもオイラたちさあ、こうしていつも酒宴を開いたもんさね。それが歓迎会だか今日みてえな別れの杯だか知らねえけど何度も酒宴を開いた。でもよく考えりゃいつだっておんなじ面子で酒飲んでいるようなもんだなあ。」
「ロクさん、アンタは何が言いてえんだい。」
「だからよ、オイラたちにゃ"サヨナラ"と"コンチハ"はおんなじような意味じゃねえの。ヤっちゃん、アンタが今日ここを出ていっても、また明日にゃあ"コンチハ"って顔を見せるような気がしてならねえよ。」
「ふふ、そうかもしれねえ。だけど今度はちょいと事情が違ってな。故郷のおっ母がすっかり弱っちまって、オレも長男だからどうにも帰らなくちゃ仕方ねえんだ。」
「そうか、もう会えねえのか。まあ達者で暮らせよな。」
「オイラたちのことは忘れねえでくれよ。」
ふいにそこに重たい空気が流れた。それは惜別の念によるものか、あるいは他のものであったか。しばしの沈黙の後、口をついたのはこのなかでは年少のケンジだ。
「みんな何でそんな上っ面なこと言うんだよ。アンタらみんな知ってるはずだ。どうせ辞められやしねえんだ。いちど河岸の人間になっちまったら一生河岸の人間から・・・」
「やめろケンジ、今日はヤスの門出じゃねえか!」
「いや、言わせてもらうよ。いつだって無理やり胸に押し込んできたことをな。いいかオレだって何度もこんな所から逃げようと思ったさ。こないだ店の親爺とケンカした時だって、もう追ん出てやる、そう思って後ろも振り返らず河岸を後にしたさ。でも海幸橋を渡ろうとしたとき・・・ああ、そのとき・・・・」
ケンジはそこで息を詰まらせた。その顔は真っ青で唇からすっかり血の気が失せている。
「・・・橋の向こうは断崖だったんだ!」
それだけを言うとケンジは突然泣きくずれてしまった。ヘイキチが「お前は飲みすぎたんだよ。」などと言いながらしきりに背中をさすってやる。しかし場はすっかり白けてしまって、そのままお開きとなった。ヤスは立ち上がって皆と握手を交わすと河岸を後にした。

新幹線で博多へ、それから在来線を乗り継いで佐世保から木阿弥島行きの連絡線に乗り込むまでまる半日もかかった。長旅の疲れでウトウトと眠り込んだヤスは何度も何度も夢を見た。それは故郷への十年の道のりを示すようにさまざまなイメージを映しては消えた。そうして終わらないような夢から覚めたとき、船はまさに目的地に入港せんとするところだ。ヤスはデッキに出て懐かしい故郷の空気を吸った。そして見た。朝霧の向こうに次第に輪郭を形づくる故郷の姿を。向こう岸で誰かが手を振っている。自分の帰りを待ってくれる者たち。ヤスの頬を涙が伝う。こみ上げてくるよろこびにかれも手を振って応えようと身を乗り出すと、しかし、その表情は一瞬のうちに凍りついてしまった。いつだって懐かしく離れがたい景色がそこにあったから。再会をよろこぶ友たちがいたから。かれら――ロク、ヘイキチ、ケンジはパントマイムのように口をパクパクさせて手を振り続けている。何度も歓迎と別離をくりかえしてきた者の持つ独特な温かみをその表情にたたえて・・・

TheCreature(Evil pomade paste strikes back!):邦題『ポマード火星人の逆襲』

一見それはありふれたツキジの朝だった。セリ場に並んだ大量のマグロ。品定めに余念のない仲卸たち。どれもいつもと変らぬ市場風景。しかしどこか少し違っていた。たとえばそれは空気の臭いといったもの。これから何か――とんでもなく悪い何かが起こるような気配が妙に湿った空気に混じって頬を撫でるのだ。そしてさっきから断続的に上下する風変わりなテルミン音楽の調べ。それらはいやがうえにも人びとを不安げにさせるはずだ。

 マグロ仲卸のコウゾウは今朝も上物を落とそうと、下付の眼光もするどくセリ場を回っていた。ふと目にとまった大バチ。そのえもいわれぬ光沢にはかれを強く引きつけるものがあった。コウゾウは尾をめくり、腹を開き、指で押して、それが最高に脂の乗った代物であることを確認した。
「こいつは滅多にねえ上物だ。こんな時期にいってえ何処で捕れたものだろう・・・何だって、火星だと!?」
 何と、まるまる太ったメバチには、その原産地が"火星"と表記されていた。そればかりではない。今朝のセリ場に並べられたマグロはすべて"火星産"ではないか!
「うわあ!」突然コウゾウは腰を抜かさんばかりに驚いて叫んだ。それもそのはず。火星マグロがすっくと立ち上がると、コウゾウにつめ寄ってきたからだ。
「キントン食ベタイ・・・」
意味不明の言葉とともに火星の大バチの口からを発せられた何やら粘性の物質、しいていえばポマードのようなものが瞬く間にコウゾウの全身を包み込んでしまった。
「おー、どうした」「何だ何だ」「ケンカか!」「ピンマル〜ッ!」
どやどやとマグロ屋連中が集ってくると、これはいけない! それを待ちかねたようにセリ場中のマグロが次々に立ち上がり、大群をなして押し寄せてくるではないか!

キントン食ベタイ キントン食ベタイ キントン食ベタイ キントン食ベタイ
キントン食ベタイ キントン食ベタイ キントン食ベタイ キントン食ベタイ 
キントン食ベタイ キントン食ベタイ キントン食ベタイ キントン食ベタイ・・・

すでに別のものに入り込まれたコウゾウを先頭に迫り来るマグロ軍団。そうなのだ。前回地球侵略に失敗した火星人が今度はマグロに姿を変えて大挙して襲来してきたのである。やがてマグロの口から発せられた凶暴なポマードによって、あわれマグロ屋は次々とかれらの虜となっていった。ああ恐るべし火星人!

「おう231号、おはよう。どうにも朝起きには慣れなくていけねえな。」
「そうだとも163号、火星の夜は長いから、地球じゃ朝が眠いよ。」
「ところで89号、わしらの地球侵略はいつ決行するんだい?」
「してえのはヤマヤマだがな121号、これから配達に行かなくちゃいけねえんだ。」
「あ、52号もスーパーの連中とゴルフだしぃ侵略は無理ぃみたいな」
「それよりも99号、仕事帰りにキントンでもやりにいかねえか?」
 「いいねえ210号、 キントン食べたい・・・」
 ツキジのマグロ屋たちの身体を占拠した火星人たち。しかし、かれらは特別お気楽なマグロ屋精神に逆に支配され、来る日も来る日もおマヌケ仲卸生活を続けるのであった。

 こうしてたびかさなる火星人の地球侵略は終わった。誰もその事実を知らないまま。
ただ、最近ツキジに流れる2つのウワサ。「よせもの屋」から消えた"キントン"の謎および最近マグロ屋の顔がまるでポマードを塗りたくったようにテカテカしていること。もちろんこれらの真相はすでにお分かりのことと思う。


伝説のカルコキング!

 配達員のアキラは小柄な身体なので、いつも河岸の仲間から「リトル」とか「ベビーちゃん」なんて言われてからかわれていた。でも本人はそんなことはまったく気にもとめず、その小さな身体で黙々と重い荷物を運び続ける。

 「楽しいなあ、身体を動かすって素敵だなあ。なんのこれしき、こんな荷物、えーい! ああ、労働って何てすがすがしいんだろう。」

 今日もねこ車に冷凍マグロを満載し、アキラは何が楽しいのかニコニコしながら引っ張っている。するとその時である。「大変だぁー!」という時ならぬ叫び声。おお、何ということだろう、工事中の足場がくずれ、作業員が鉄柱の下敷きになっている。そればかりか、見よ! その頭上には重さ10トンもあろうかという起重機がまさに今、墜落しようとしているではないか! これを危機と言わずして何と言おう!

 「む、これはいけない!」
 アキラは小さく叫ぶと、小走りに鮮魚売場の柱のかげに回った。そしてポケットから何やらペンシル状の注射器を取り出すと「目盛り1だ!」そう言って自分に突き刺した。そのとたん・・・!

 「うわーっ、ダメだぁー!」
 「落ちるぞお!」
 ドオォォォォォォ・・・!
 人びとがなすすべもなく見守るなか、悪魔の起重機は轟音と共に落下してくる。ああ、もうお終いだ。作業員たちもこれまでだ。誰もが眼をつぶってしまったその時である!
突然、疾風のように現れた大きな黒い影。全身が隆々たる筋肉みなぎる大男が、おお、落下する巨大起重機をその肩にガシリッとばかり受け止めたではないか!
 「カルコキング・・・」
 「カルコキングだ・・・」
 「カルコキングが現れたぞー!」ザワザワザワ
 そう、かれこそ魚河岸がピンチのときにどこからともなく現れるという伝説の英雄カルコキングその人だったのだ。
 カルコキングは巨大起重機をいともやすやすと空中に放り投げると、それは大きく弧を描いて遠く隅田川に水柱を上げた。
 "かるーこ、きぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃんぐ!!!"
 かれは空に向かってつんざくような雄叫びを上げると、どこへともなく走り去っていくのだった・・・

 「おいお前どこ行ってたんだよお。今すごかったんだぜ。カルコキングが・・・おい、聞いてんのか!」
 「ダメだめ、このベビーちゃんは配達のことで頭いっぱいだよ。何も聞いてないのよ。」

 「ああ、楽しい。労働って楽しいなあ。かるーこ!人生!」
小さな配達員アキラ。かれに隠された脅威の筋肉を人びとはまだ知らない。



店舗移動のカルコキング!

 その日、築地市場は揺れに揺れていた。
 9年ぶりの店舗移動――それは千件を越える場内の仲卸店舗が一斉に引越しを行う一大イベントである。しかし膨大に膨れ上がり煩雑化した市場機能が想像だにしなかった様々の問題を次々に生みだし作業はようとして進まない。そして開場を明日にひかえてなお、移動完了の見込みも立たぬまま、関係者はひたすら焦燥感をつのらせるのだった・・・

  「だからA店をB店に移すにはまずC店をD店に移動させねばならぬが、そのためには先ずF店をG店に・・・(中略)・・・O店からP店への一時退避をもくろみQ店からR店へと順次進めれば・・・(中略)・・・なのでX店よりY店を経由してZ店を動かせばA店の移動は完了するので次のB店にかかれるので・・・」
 「つまり始めっからやりなおしですかあ?」
 「ひええええ! これじゃ終わりそうもないじゃ〜ん!」

 通りすがりにそれを小耳にはさんだのが小さな配達員アキラである。
 「む、これはいけない!」
 かれは引越しの荷物を満載したねこ車を脇に置いて、鮮魚売場の柱のかげに回ると、ポケットから出したペンシル型の注射器を「目盛り1だ!」そう言って自分に突き刺した。そのとたん・・・!

 「カルコキングだ!」
 「カルコキングがまた現れたぞお!」
 魚河岸がピンチになるとなんとなく現れる英雄カルコキング。
 今日は遅れに遅れた店舗移動に業を煮やし河岸の人に混じって引越しのお手伝いである。電冷ダンベや冷凍ストッカーを小脇に抱えては、ちぎっては投げの大活躍。
 「さすがカルコキングだ!面白いように片づくじゃねえか!」
 みんな感嘆の声を上げる。しかし、それでも膨大な搬出入はなかなか終わらない。さしものカルコキングも業を煮やしてつぶやいた。
 「む、これでは終わらない!」
 かれはふたたびペンシル型注射器を取り出すと「目盛り300!」いきなり突き刺した。そのとたん・・・

 「うわあ、カルコキングが大きくなったぞお!」
 「あはは、こいつあでけえや!」

 注射液カルコXの最大パワーによって雲をつくほどの巨人に変身したカルコキング。

 "かるーこ、きぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃんぐ!!!"と大きく空に雄叫びを上げると、やおら築地市場の端をつかみ「ベリベリッ!」と市場全体をひっぺがした。そして頭上でピザ生地のようにくるくると回転させると、「やーっ!」とばかり空に放り上げる。そのまま築地市場はフリスビーのように回りながら、弧を描いて隅田川の向こうに飛んでいった。落ちたのは豊洲地区。瞬時に豊洲移転が完了しちゃった。
 移動と移転を間違えてしまったカルコキング。市場の跡地で一人つぶやくのだった。

 「ちょっとだけ疲れた。」


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