鮪にインタビュー@ マグロはサンマではない

 ちょっと何ですか旦那さん。
 アタクシが気持ち良く泳いでいるところをいきなり網でからめとるなんて、あんまり無体ではござんせんか。ああ、食べるのですね。ニンゲンというのはマグロを喰う生物でしたな。是非もないお話です。これも自然の摂理というものでございましょう。宜しい。どうぞお食べなさい。煮るなど焼くなど好きにするが良い。もちろん刺身で食するのが一番でしょうがな・・・。

 え? 言語を解するマグロは珍しい、と。アナタ、なかなか良いところに目をつけましたな。左様、世間広しといえども、アタクシほど頭脳の高いマグロはおらんでしょう。ほら、ごらんなさい。全身これEPAのかたまりでございます。はははは・・・何? 話がききたい? アタクシにインタビューしたいと、こうおっしゃるのですか。宜しゅうございます。何なりとお話しましょう。あ、お茶ですか。いただきましょう。ズズズズズ・ズ・・・はあ。いや甘露、甘露。 

 さて、何をお話しましょうか。昔のことですか? ああ、昔の話というとアタクシのご先祖さまについてですな。ええ、アタクシらが地球上に現れましたのは、今を去ること20億年ほど前・・・え、そんな昔のことでなくて良い? そうですか・・・ああ、それではワタクシがなぜマグロと呼ばれているかについて申し上げましょう。

 その昔、日本近海にはワタクシの仲間がたくさんおったんですな。それこそ海のなかにミッシリとしておりました。それでワタクシらの背中は黒いですから、海が真っ黒に見えたというんですな。真っ黒、マクロ、マグロ、とこうなったわけです。もうひとつの説がございます。江戸時代の食べ物誌「本朝食鑑」に「その眼が黒き故にマグロ」とありまして、眼が黒い、眼黒だ。これが訛ってマグロになったと、こう申しますな。

  どちらかというと、これ、眼黒の方がどうやら本当のようでございます。江戸の半可通が眼黒を目黒の魚とカン違いして「サンマ」だと言って恥をかいた、などという話が残っておりますな。もちろんマグロとサンマとは何の関係もござんせん。



 鮪にインタビューA マグロは縁起の悪い魚

 おや? 羊羹ですか。良うございますな。お茶うけはやはり羊羹に限ります。これはまた薄っぺらに切りましたな。そうして多く見せようという健気な努力がアリアリとしております。ふがっ、もしゃもしゃもしゃ。あ、お茶のお代わりを所望、ええ、二番で結構でございますよ。おっと、かたじけない・・・ズズズズ、ズ。

 さて、今回は何をお話しましょうかね、と。そうだ、マグロは昔、縁起の悪い魚だったことでも申し上げましょうかね。

 江戸時代にはマグロのことを「シビ」といいました。正確には「大きいものをシビ、中くらいをマグロ、小さきものをメジカ」としていたようでございますが、一般的にはマグロ全体が「シビ」という名前で認識されておったのでございます。
 この「シビ」という名称、武家の人たちは非常に忌み嫌いましてね、絶対に食べなかったのでございますよ。というのも「シビ」は「死日」につながるということで・・・。いやもう笑ってしまうような言いがかりでございますが、どうも武士の人たちは語感をやけに気にいたしますな。
また、語感の悪さからばかりでなく、遠洋を回遊するワタクシどもは血液中のヘモグロビンが・・・などとむずかしい話はどうでも宜しいのですが、つまり赤身の魚であるマグロというものは時間が経つとすぐに黒ずんでしまう。これがいかにも下品に見えてしまうということで評判が悪かったのでございます。
 おかげでワタクシどもは縁起の悪い魚、賤しい魚というありがたくないレッテルを貼られてしまい、何百年も冷や飯を食わされた、と申しますか、冷や飯のお供にもしてもらえなかったというマグロ暗黒時代を迎えることになったのでございます。



 鮪にインタビューB ヘグリノシビの物語

 これでワタクシどもも、いにしえの時代から皆さんに親しまれておったのでございます。縄文時代の遺跡からマグロの骨が出土しておりますし、古代人の胃袋を満たしたことには間違いありません。ですから昔ばなしにも登場するのでございますよ。

 武烈天皇の御代と申しますから、今から千七百年も昔になりますか。その頃、平群鮪(へぐりのしび)という名の豪族がおりました。この者が大変に腹黒い。そしてその父親の平群真鳥(へぐりのまとり)はさらに輪をかけての陰謀家で、当時最も力のある臣下として朝廷の権力を欲しいままにし、おごりの限りをつくしておりました。
 あるとき、そのおごりがとんでもなく増長し、平群親子は何とか皇位をものにしたい、などという妄想にとりつかれてしまったのでございます。その頃、物部?鹿火(もののべのあらかび)に影姫(かげひめ)という美しい娘がおりまして、当時皇太子であった武烈天皇は、この娘を后に娶りたいと熱心にプロポーズを持ちかけておりました。しかし、あろうことか真鳥は息子の鮪に命じてこの影姫を犯して、懐妊させてしまいます。
ふははははは。これで最早王位継承は我が手に。これからは鳥と鮪の時代だ、とでも思ったのでありましょうか。ところが、そんな思惑通りになるはずがございません。太子の怒り尋常ではなく、豪族大伴金村と命じて平群親子を火攻めにしてこれを誅伐いたしました。この功によって大伴氏には「大連(おおむらじ)」という最高の執務官の称号が与えられるのでございます。

  焼き鳥に平群を料る大連

 これは平群真鳥と焼き鳥とをかけた歌なのですが、大昔に腹黒い豪族のことを「焼き鳥」と呼んだそうでございます。同様にその息子もまた腹黒かったので、「黒い魚」のことをシビと呼んだのではないか、などと言われます。
こんな人たちから名前をもらうなどワタシらとしては大変に不本意でございますがね。



 鮪にインタビューC 食べたよとそっと耳打ちするマグロ

 ちょっと一服させていただけますか。ええ、マグロだって煙草をのみますよ。アタクシはこれを煙管で喫るんですがね。ああ、自前のものがございますからご心配なく。プハ〜、トントン。しかし、何でございますな。近頃では嫌煙権などと洒落臭いことを申しますが・・・プ〜ッ、トントン。
 これで煙管と煙草盆がなくてはお話にも何にもなりませぬ。

 話が愚痴めいてまいりますがね、ワタクシどもは長いこと下魚などと蔑まれ、すっかり世間様から肩身の狭い暮らしを余儀なくされておりました次第で、それと申しますのも、「シビ」という語感の悪さというのだから可笑しいではございませんか。それからまた、すぐに黒ずんでしまう色合も不可ないようでございます。何しろ、遠海からマグロを運ぼうにも、いかに船足の速い八丁艪(はっちょうろ)であろうと、江戸市中に出回る頃にはどうにも鮮度も落ちてしまいます。

  鮪売り根津へへなへなかつぎ込み

 現在の文京区根津のあたりは、日本橋魚河岸からおよそ一里の距離にあります。この辺まで棒手振(ぼてふり)の鮪売りがやってくる頃には、魚もへなへな(干乾びた様子)になってしまうという川柳で、またこんな場末には、へなへなの鮪を喰らう田舎者しか住んでいないという意味にもとれますな。江戸中期、吉宗将軍の世までは、マグロなんてのは裏長屋の熊さん八つあんが金のないときに仕方なく食べるもので、たとえ町人といえ表店の者は絶対に口にしなかったというのでございます。何と嘆かわしい・・・トントン。

  もう少し時代が下っておよそ文化年間(1804〜18)になりますと多くの人がマグロを食べるようになったようでございます。ああ、良かったワタクシどももようやく陽の目を見るのかな、と思いきや、「皆、隠れてこれを食し」たようで、おおっぴらには食べないのです。そして、「マグロを食べたよ」と他人にこっそり耳打ちしたと申します。まったく失礼千万な話でございます。人びとがマグロのおいしさに気づきはじめても、下魚のレッテルはしっかりと貼られたままだったのでございますよ。



 鮪にインタビューD 天保マグロ伝

 ああ、同じ姿勢をしておりましたら肩がこりましたな。旦那さんもご一緒に伸びをすると宜しいですよ。おや、何ですか? 肩を揉んで下さる、と。これは良い心がけですな。いやかたじけない。あ、そこ、その、背鰭の横のところ。そこがマグロのツボなのでございますよ。いやもう、五臓六腑にDHAが染み渡るような良い心持でございますな。

 さて、今回もお話をさせていただきましょう。
 マグロというものは、本来遠洋で捕れるのでございます。ところが、どうした潮流の加減か、近海でたくさん捕れるという事件が起こりました。天保三年(1832)の出来事でございます。何と日に一万本も水揚げされたと申しますから大変なものですな。そうしてたくさん捕れるから広まるということにもなりまして、江戸市中にマグロがあふれ、それまでこっそりと食べておりましたマグロを大っぴらに食べるというご時世になってまいりました。

  日本橋魚河岸では中くらいのマグロが約二百文という超安値で取引され、二十四文の切り身で二、三人が食べても残るというくらいだったと申します。蕎麦が二八の十六文でございましたから、蕎麦代にちょっと銭を足せば、家族が腹一杯食べられるという具合でありました。

 そうして、江戸市民はマグロのおいしさに舌鼓を打つことになるのでございますが、ところがこれではとても安くて商売にもなりません。それで良い部分だけ切り身にして、ほかは肥料にしてしまう。それでも到底使いきれずに捨ててしまったと申します。いかにも勿体ないお話ではございませんか。



 鮪にインタビューE 彩り鮮やかマグロの握り

 いつの世にも目先の利く者はおるのでございます。

  天保三年(1832)のマグロの異常豊漁によって江戸市中にマグロがあふれ、いくら食べても食べきれない。肥料にしても余ってしまう。困ったものだ、ということになりましたが、この大量のマグロの良い部分だけ取ってきて、にぎり寿司にしてしまおう、と思いたった江戸っ子がおるんですね。

 えー、余談でございますが、寿司というものは当初、鮓と申しまして、飯で発酵させて酸っぱくした魚を食べるという保存食でございました。しかし、それでは時間がかかり過ぎるから酢飯にしてしまえ、ということで一夜鮓(早鮓)が現れました。さらに、いっそ飯ごと握ってその場で食べさせようという発想から握り寿司の登場と相成るのであります。そこで当初握った寿司種はコハダであるとかアユといったもので、マグロを乗せるなど、まるで突拍子もない相談でございました。

 でもこのマグロ寿司、白い飯の上に赤い魚というコントラストが実に綺麗でしたから飛ぶように売れました。下魚もいっきに魚振を上げることとなりまして、いやあウレシイ限りです。
ところが、これが残念ながら不人気だったのでございます。大変に不味かった。握り寿司は甘酢で魚を洗って出します。ところがマグロはそれが出来ません。酢に漬けたら表面が真っ白になり、肌はザラつく。これでは見た目も悪くなります。仕方なくそのまま乗せてみたら旨くない。当たり前ですな。

  その時、にぎり寿司の創始者といわれる花屋与兵衛は、最近野田で盛んに生産されるようになった醤油にマグロを漬けてみたのでございます。するとこれがとてもよく合いました。保存にもなるし、これこそマグロ寿司の作り方だ!
 この方法をヅケといいまして、赤身のマグロの代名詞になっております。ヅケの発明によって、ついにワタシらマグロは寿司ネタの花形として認知されるにいたったわけでございます。



 鮪にインタビューF 鉢巻マグロの正体

 これはこれは、旦那さん。良く気のつくことでございますな。一本つけていただくとは、かたじけのうございます。さっそく一献、馳走にあずかります・・・ん、ん、ん。くうーっ、腹に染み渡りますなあ。ではご返盃。何、いらない、と。すると貴殿は何ですか。マグロの酌はお気に召さぬと申されるか。いや、失礼つかまつった。何も興奮いたした訳ではございませぬ。しかし、何ですなあ。これで横に刺身などありますれば、なお目出度いというもので・・・というところへ肴が参りました。まさかこれ、マグロではないでしょうなあ。え、アジ? それなら安心です。いや、これはまた。なかなかオツでございます・・・。

 さて、お話に移らせていただきましょう。
 江戸時代に鉢巻マグロというものがございました。と申しましても、何も鉢巻をしたマグロが泳いでいた訳でも、マグロの頭に鉢巻をつけさせて食膳にデーンと置いたのでもありません。

  鉢巻を巻いてシビ食う田舎者

 こういうふうに田舎者を揶揄するのに、お前ンところは鉢巻をしなければシビを食った気のしないところだ、などと馬鹿にしたのでございます。なぜマグロを食べるのに田舎の人は鉢巻を巻かなければならなかったか。それは江戸時代、漁獲されたマグロはまず日本橋魚河岸へ集められます。それを各地に輸送するのでございますが、現在と違い冷蔵庫もない時代のことでマグロがすぐに真っ黒になってしまいます。この黒い部分に虫がたかり肉を食みます。その虫が肉を食らいながら死んでしまい黒くシミついてしまいます。さてこの黒いのが肉なのか虫なのか分からない。そんな鮮度の落ちたマグロを食べると中毒を起こし頭痛がしてまいります。それで、田舎の人はあらかじめ鉢巻をしてマグロを食べねばならぬという、まあ本当にそのようなものを食べたかは分かりませんが、マグロがそんな悪口に使われた時代でございました。



 鮪にインタビューG トロは捨てられていた!

 マグロ寿司が登場いたしますと、ワタクシどもは、まるで寿司の花形のように扱われるようになったのでございます。明治時代にはマグロの寿司でなくては粋じゃないとまで言われ、長年の受難時代を経てつかんだ栄光にちょっとばかり面映い気がしたものでございます。

 しかし、その頃のマグロ寿司にはトロというものはありませんでした。そもそもトロなど昔は捨てられていたのでございます。そんなことを申し上げれば皆さんはびっくりすることでありましょう。何しろトロは大人気の高級食材ですございますから。しかしこれは本当の話。戦前まではマグロといえば赤身のことをいったのでございます。昔の日本人は脂ぎらいでお刺身もサッパリしたものを好みましたから、脂の乗ったトロを食べてみようという発想すらなかったのでしょう。
 
 はじめてトロの美味しさに気づいたのは、昭和初期の学生さんだと言われていおります。苦学生の彼らは安価なトロを喜んで食べました。それからもちろんマグロ問屋の小僧さんたちも、まかないご飯でお腹一杯にしていたそうです。当時トロはそうした一部の人だけが食するものでございました。
 
 それが戦後、日本人の食生活が急速に洋風化し、肉食に慣れた人々の味覚には口の中でとろけるトロの美味しさが何と新鮮に感じたことでありましょう。皆トロに魅せられてしまいました。かくしてトロと赤身の人気はいつのまにか逆転したのでございます。結局は食べ物にも流行がございますから、どのようなものが価値が高いかは、その時々で違うというお話ですな。



 鮪にインタビューH マグロはデリケート

 おや、夕餉の支度でございますか。いえ、私は結構でございますよ。もうそろそろお暇しとうございます。え? もっとゆっくりしていけ、と。何をそれほどお引止めになるのでございましょうか・・・。
 
 皆さまはあまりご存知ないかも知れませぬが、ワタクシどもは群れをなして行動いたしまして、つねにこの集団数を気にかけながら泳いでおります。そして、一旦この集団生活からはぐれると生きてはまいりません。たまさか何らかの事情により集団から個におちいりましたマグロは一気にパニックを起こしてしまいます。どのようになるかと申しますと、ストレスによって酸っぱいマグロに変化するのでございます。

 よく築地市場に上場するマグロに、見た目は上物であるが、食べてみると非常に酸っぱい味がするのがある。これはストレスにちがいない。何てこった、"はぐれマグロ"をつかんじまった! などと仲卸人はガッカリするのでございますな。

 さて、ワタクシも"はぐれマグロ"にならないうちに仲間の所に戻るといたしましょうかね。
 何ですか? 夕飯を用意している? いえ、私はもう十分でございますよ。え? オカズがないから、帰られては困る? すると何でございますか、ご主人。アナタ、これほどアタクシに語らせておいて、最後にはやっぱり喰おうと、こういう料簡でございますか。

 それは何とまた、是非もないことでございますな。まこと世の無常を覚えずにはおられませぬ。宜しいでしょう。お食べなさい。でも、ほら。今かなりストレスが高まってまいりますから、うんと酸っぱいでしょうがね。まあこれで存分に語らせていただきましたから、思い残すこともなし、露と消えゆく命なりけり、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・




 コハダにきひてみろ! @ 喰へるもんなら喰ってみやがれ

 おっと、危ねえ! やいやい、どこに目のくり玉ァつけてやがるこの唐変木。ここは天下の魚の大道だァ、白浪目出たき江戸の湊は真ん中だァ。おれが心持良く泳いでるところォのめずり込むたあ、全体どういふ料簡だ。おい何ィしやがる、網でからめるなど険呑な事ぢゃねえか。このおれをどふしやうってんだ。何ィ、喰ふだと。何と滅法界な話を言ふへご助だ。面白れえ。さあ、喰へるもんなら喰ってみやがれ。

 痩せても枯れてもコハダの兄ぃ、小肌此四郎とはこのおれだ。コー覚えとけ。ひんなり喰はれて、おたまりこぼしもあるもんかへ。うかと喰へば、取ったか見たかに手前の五臓六腑をかき回すぞ。煮やうが焼かうが喰へねえのがこちとら身上だ。火ィ入れば焼いた死人の臭いがたち込めるぞ。やい、がりがり頭の半土左め、二、三の水出し、やらずの最中たァまるでこのことだ。それで喰ふなら、ぜっぴもねえ。さあ、そっくら喰ってみやあがれ。

 何を。辞めました。喰はねえてえか……そんならいいや。だっても、いきなり掴まへられて、剣突打たれたもんだから、こちとら竹屋の火事でポンポンと悪口もっこう言ひもしたが、ナニ五月の鯉の吹流し。ハラワタァねへから気にするねえ。

何だと、物言ふコハダに逢ふのは初手だと。貴方ほどの英物は見たことねえと、コーいふか。何の油を言ひやがる。どふして欲しい。鮓でも喰はせやうか、エゝ。それともシバヤの総見でもやらうてえか。ナニ、話が聞きてえ? コハダさんの胸のうちに尋ねてみたいと。そんなゴマを並べられて良い顔する、そんじょそこいらの兄ぃぢゃねへが、それほど話せといふのなら。良いよ良いよ良いよ。さあ何でも聞いてくれ。ナニ、コハダの由来が聞きてえと。さうか、そんならかぶろ子供も合点のいくやうに、とくと話して聞かせやせう……


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