ウナ公大放談 F 鰻屋は「うな丼」がきらいウナ

大久保今助の機転により誕生した「うな丼」。でも「うな丼」をくう奴というのは鰻屋ではあまり喜ばれなかったのらウナ。大体丼ものなどというものがまったく下賎な食い物だという通念があったからなんだけどね。
それで明治になっても「和田平」とか「神田川」とか「大黒屋」といった少しいい店になると、「うな丼」の客は二階に上げなかったというよ。下の調理場の横っちょで食わせるという大変にぞんざいな扱いをする。そんなものを食う客など軽蔑の極みだというわけだウナ。なら出さなきゃいいのだけど、何しろ売れるから出す。でも、普通の蒲焼よりも一段落ちるものを使ったらしいよ。



 ウナ公大放談 G 鰻は産地よりも焼き方なのらウナ

 文化文政期に小日向水道町に住んでいた十方庵(じゅっぽうあん)というお坊さんの書いた「十方庵遊歴雑記」という本にこんなことが書いてあるよ。

 文政七年の夏、越谷へ行ったときに、鰻のご馳走にあずかったが、この鰻が風味も良く、焼き方も上等で、こんな旨いものは江戸にもない。江戸の有名店でもこれより上等とも思えない。主人にこれは江戸前か、それともこの辺の川筋のものかと尋ねると、主人はこれはこの辺で捕れたもので、江戸の人に言わせれば「旅鰻」というものでございまして、鰻は決して良いものではございませぬが、焼き方はいささか自慢なのです。
 聞けば、はじめ白焼きにし、魚が少し太ってきた時に重箱のようなものに入れて重しをかけ、ふたをしてよく蒸します。それからタマリ三合に味醂一合、白砂糖二十匁ばかりを合わせてよく煮立て、冷ましたタレの中に鰻を浸し、強火で一気に焼き上げるようにすれば、場ちがいな鰻でも、皆さんが賞玩なさる江戸前と同じようになります、という。
 これを聞いて十方庵は大いに合点がいったというんだな。

 現代においても、鰻は焼き方が勝負で、天然物でも養殖物であってもそんなに違いはない、などと言う人がいるよ。ちょっと乱暴な言い方にもきこえるけど、なるほど多くの人は鰻の良し悪しを食べ分けるほどの舌は持ってないということでしょうなウナ。



 ウナ公大放談 H ウナというのは江戸前だウナ

 鰻屋の看板に「う」と書いたものがあるけど、あれは上方風なもので、あちらでは鰻のことを「ウ」と略していたんだ。
 でも江戸ではそう呼ばず「ウナ」と略した。また女詞で「オナ」ともいったよ。

 「どうやら蒲焼(おな)のやうだ」(天保十年・恋の若竹)

 そんなわけで、オラは江戸前なウナギなんだなウナ。
 
 ところでダンナさん、オラは眠くなったよ。ウナギの寝床でもいいから横にならせて欲しいウナ。お、案内してくれるか。ムギ飯でお腹いっぱいだから動きづらいウナ。はいはい、どちらで・・・お、ここかウナ? 
・・・ダンナさん、ここは生簀だウナ。オラここは嫌いだウナ。もといた所に戻りたくないヨ。 え? オレの仕事は何だと思うかって? 分からないウナ。ダンナさんは何をする人? ウ・ナ・ギ・職人・・・さいなら!

  あーっと、つかまえるかウナ! ダンナさんだますヒドイ! 助けてくれたんじゃなかったウナ。オラを割くと腹からムギ飯が出るあるよウナ! ムギ飯のたたり・・・

  ドボンッ!


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