魚河岸古法式書


 問屋数が増え取扱量も大きくなってくると、魚河岸の秩序をつくるための成文法が必要となってまいります。たとえば他人の荷をせりとってはいけないとか、勝手に問屋をはじめてはいけないといったことの取り決めです。つまり実際にそうした問題も起きつつあったのでしょう。納魚のために魚会所を設けたその延長線上に法式書をつくることは自然な流れだったともいえます。

 これは江戸の昔から現代にまで一貫していることと思うのですが、魚河岸では小さな地域に同業者がひしめき合い、しかも、その誰もが経営者であって、それぞれの店の売上に格差はあるけれど、全体としてみると莫大な売上となる。そこは世間の枠組みには収まりきらない特殊な環境であって、さまざまな軋轢やら利害関係が渦巻いております。そこで全体を律するような魚河岸独自の法がなくてはやっていけません。現在でいえば卸売市場法がありますが、行政的な原則では見えないところでも、暗黙の了解というものまで含めて、あらゆるローカルルールがここには存在します。欲望や思惑を腹に持ちつつも苦しいときには同病相哀れむの精神も忘れない。大事は小事となり小事が大事ともなる。清濁併せ呑むようにして閉鎖社会の秩序は保たれていきます。だからこそ確執をくりかえしながらも、深いところでは共同体の意識で結ばれています。この微妙なバランスを保ちながら四百年間も続いてきたというのは大変なことで、現代の視点から縦に割っても横に切ってみても、光をあてられない部分が多く存在しているのが、魚河岸だといえます。

 それはともかく、寛永二十一年(1644年)に制定されたといわれる法式書は、魚河岸にできた最初の成文法となりました。後に享保十二年(1731年)に町奉行大岡越前守の意向によって「四組法式書」というものが制定されたので、それとの対比の意味から「古法式書」と呼ばれます。十ヶ条から成る取り決めは、市場内の取引を規定するとともに、ひいては浜方への統制をねらったものと思われますが、当時の問屋の様子が分かる文献ですので、その全条項についてみてみようと思います。

 (第一条)
納魚は月行事(がちぎょうじ)から触れがあれば、隠し置かず即座に差し出し、時間が過ぎても指定の魚が入荷したなら、すぐに月行事に申し出て、その指図を受けてからでなければ販売してはならない。

 これは後に問題となる「隠し売り」や「脇揚げ」などの納魚逃れを禁止する条項です。すでにそうした事件があったのでしょう。ここで月行事とは、本小田原町魚会所、本船町魚会所、本船町横町魚会所の三ヶ所からそれぞれ問屋の代表役員が月ごとに交替で勤めて、幕府膳所からの納魚をとりまとめる役目のことです。

 (第二条)
権利のない者が問屋業務を行うことを禁ずる。たとえ浜方から送り状が来ても宰領番が船宿で吟味し、権利なき者には送り状を渡さない。

 これによると、問屋のなかから選ばれた宰領番というのがいて、魚河岸内の船宿に詰めて、各問屋に送り状を渡していたことが分かります。この点検により取引が開始され、量目検品ののち荷揚げとなります。その際に問屋の権利のない者には送り状を渡してはいけないというのが第二条です。

 (第三条)
請下(仲買)でない者に店前で販売させてはならない。また請親のない請下には問屋として一切売掛けをしてはならない。


 仲買に関する規定です。正式でない仲買が横行して混乱していた様子が伺えます。条項では、もしも仲買人を解雇した場合、問屋は町中に触れ知らせることとし、もしも買掛けが残っていれば問屋主人がこれを弁償することを規定しています。買掛けを残したまま逃げてしまう仲買人、それを清算しない請親問屋が多かったのでしょう。また、問屋は仲買人に対し「売荷物を大道に出しゃばらせないこと」や「喧嘩口論をさせないこと」を明示しています。仲買人は荒っぽく、のちのちまで魚市場の売場でみられる粗雑さが特徴で、かれら同士、あるいは買出人や大家との間で喧嘩口論が多く、いろいろと問題になっていました。

 (第四条)
他の者が納めている御屋敷をせりとってはならない。ただし、その者との談合の上での取引は差し支えない。


 これは「屋敷方魚納」という仲買人に対する規定です。大名や大身の武家への魚を納める仲買を「屋敷方魚納」と呼んで一般の仲買とは区別され、職務上問屋と同格とされていました。

 (第五条)
問屋が仕入金を渡してある浜方からきた旅人(たびにん)の荷物をせりとってはならない。ただし年季明けになれば浜方の願いによって別の問屋が取り 扱うことができる。


 問屋は仕入金を出して浜方と契約しているので、ほかの問屋が勝手に取引はできないと規定したものですが、廻浦といって複数の問屋に出す浜方がいて、これを規制しようというのがこの条項のねらいでしょう。旅人(地方問屋)には変名で送り状を送ってくる者もいて、荷物はよく吟味をして仕入金をしている問屋に渡すこととし、もしも吟味をしないで別の問屋が受入れた場合、これまでの仕入金その他を残らず早急に立て替えることを決めています。

 (第六条)
問屋が直接浜方に出向いて魚を直買してはならない。また「分け合い」の荷物がきた場合には「片附売り」をしてはならない。新規の旅人に対して仕入金をする場合は月行事に届け出をし、他町へも申し渡しをすること。内証で取引すれば「売り止め、過料金」を加える。


 第五条同様、浜方に対する問屋の権利を確保するものです。「分け合い」とは出荷先の問屋を区分するもので、一方だけが販売してはならないとしています。これらを取り締まるのが各組合の魚会所で、罰則が規程されているように、自治組織としての規制力の強さをうかがい知れます。

 (第七条)
問屋が店仕舞をする場合は、月行事と相談した上で問屋の権利を持っている 者に譲り渡すこと。その際の買掛け、借金などはすべて譲受人の責任で完済 すること。自分の問屋の孫店に貸そうとする場合でも同様の処置である。家主や問屋が勝手に転貸してはならない。五分荷物が来たときには、荷主に直売させてはならない。


 主に問屋数に対する規制条項と読めます。すでに問屋が一定数に達していたから、新規問屋に対しては注意ぶかく認定しています。五分荷物とは、荷主が問屋に代わって販売を行い、口銭の五分を問屋に渡したり、仕入金を受けていない荷主の販売は五分の口銭を取るというもので、なかば黙認されるかたちで存在していましたが、これを続けていけば、新規問屋発生の温床ともなりかねないと禁止したものでしょう。また、問屋名義を書き換えた場合は、新規問屋は魚会所に「樽代」として金一両一分と銀五匁、さらに譲り渡した者への謝礼として「菓子代」金一分、銀五匁を差し出すことを決めています。

 (第八条)
自分の集荷を増やすために「増し仕切」をする行為は、「正直なる他の問屋大 勢」が難儀するので、してはならない。


 「増し仕切」は浜方に多額の仕入金をしてその歓心を引こうというもので、これを禁止し、違反者には罰則を与えるとしています。
 (第九条)板舟の寸法は横幅二尺三寸(約70p)、長さ五尺(約1.5m)を守ること。
 ここでいう板舟とは、公道を利用する販売場所としてのもので、販売量の増加によって売場を公道まで出張る問屋が出てきたことを規制しようという条項です。後に麻店前の仲買の販売行為が問題となり、大岡越前守が間に入って板舟権というものが出来ますが、それは八十年も後のことで、この時期にこうした条項が出てくるのは不思議に思えます。

 (第十条)
毎年三月、本店、孫店が総参会して万事を取り決めること。


 毎年総会を開くことを決めたものです。

 (罰則)
以上条項については、問屋は勿論、仲買にもよく申し付け、違反の場合は「商
売停止」、「過料金」などを申し渡し、一切の弁解もさせず実行することとする。

  最後にこのような罰則を決め、すべての問屋の連判により法式書を結んでいます。
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