芭蕉と杉山杉風


 「おくのほそ道」で知られる俳人松尾芭蕉は、寛文十二年(1672年)江戸に下り、日本橋本小田原町の魚問屋二階に草鞋を脱ぎました。
 その前年、芭蕉は初の著作「貝おほひ」を伊賀上野天満宮の菅原道真公七百七十年忌例祭に奉納し文運を祈願、意気軒昂として東下の旅に出たといます。
 当時は貞門俳諧(ていもんはいかい)といって、和歌、連歌で禁じられている漢語や俗語である俳言(はいごん)を使用して日常や感情を、ユーモアをもって表現する手法が流行していましたが、いささかマンネリぎみであり、言葉遊びに終始する体であったところへ、西山宗因の談林俳諧がより大胆に「おかしみ」を追求していて、若き芭蕉も談林調に傾倒していきます。しかし、独自の蕉風俳諧を確立し、いわゆる「わび」「さび」の域に到達するのは、これよりずっと先のこと。当時芭蕉はわずか二十九歳、自らの境地を極める旅ははじまったばかりであり、いわば試行錯誤にあったその若き日々を日本橋魚河岸で過ごすことになったのです。
 芭蕉が身を寄せていた魚問屋というのは、北村季吟の同門下だった小沢仙風の俳号を持つ鯉問屋、杉山賢水宅でした。そして賢水の長男にあたる杉風(さんぷう)こそが、芭蕉がまだ有名にならない前からの支持者であり、芭蕉十哲のひとりとして終生追随した杉山杉風その人です。杉風は師に対して経済的な援助を通じて、スポンサー的役割も果たし、のちの蕉風俳諧を築いていく上での最大功労者といわれています。
 杉風の家業である鯉問屋が、先に述べましたように魚河岸では特別の存在で、たいへんに羽振りが良かったことが芭蕉への庇護を可能にしたといえます。鯉屋では鯉を囲っておくための生簀を深川に二ヶ所持っていたといいますが、そこにあった番小屋を改造したのが芭蕉庵であり、その名も生簀に植わっていた芭蕉からつけられました。

 古池や蛙飛び込む水の音

 この有名な句はまさに芭蕉庵で詠まれたといいます。
芭蕉が若き日々を送り、杉風を通じて由縁をもった魚河岸は、芭蕉にとっては馴染み深い土地であったことでしょう。

 鎌倉を生きて出でけん初鰹

 これは魚河岸の繁盛と初鰹の景気を詠んだ気持の良い句です。魚問屋の二階で吟行に励む芭蕉の眼に、喧騒に満ちた早朝の魚河岸の賑わいはどのように映ったでしょうか。
 芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出るときに、杉風に送ったといわれる句があります。

 ゆく春や鳥啼き魚の目はなみだ

 元禄二年(1689年)三月二十七日、芭蕉庵を出てから舟で隅田川をさかのぼり、千住で送別の人たちと別れたといわれ、そのときに芭蕉は長年世話になった杉風に対してこの句を詠んだものと思われます。杉風は芭蕉の北行にあたって、春先の寒さを案じて、その出発をとどめたといいます。互いのあたたかい心の通じ合いが、旅立ちにあたってこのような留別の句を詠ませたのでしょう。あるいは魚という一文字には、自らが魚河岸で過ごした若き日への決別の念がこめられているのかもしれません。

 さて、杉山杉風についてみてみましょう。
 杉風は正保四年(1647年)幕府鯉納入御用問屋の長男として生まれました。ちなみに芭蕉は杉風より三歳長じる正保元年(1644年)の生まれです。
 通称鯉屋市兵衛、藤左衛門、または鯉屋杉風と称し、寶井其角、服部嵐雪とともに芭蕉門下の代表的俳人で、流行を追わない着実な作風は、人柄とともに芭蕉のもっとも信頼のおく門人でした。

 頑なに月見るやなほ耳遠し
 影ふた夜たらぬ程見る月夜かな
 年のくれ破れ袴の幾くだり
 がつくりとぬけ初る歯や秋の風


 杉風は聾者で耳がひどく遠く、同門で粋を旨とする其角は、杉風は耳が聞こえぬから世間に遅れている、などと揶揄すると芭蕉はひどく機嫌を損ねたといいます。芭蕉は杉風の心情を察して生涯にわたって聾者のことを句にしませんでした。
 また、杉風は俳諧以外にも絵画を狩野派に学び、その筆致はきわめて写実的で、かれの手になる「芭蕉像」は多くの肖像のなかでも最も信頼されるもので、のちに大英博覧会にも出品されました。
 貞享四年(1687年)の「生類憐れみの令」では、魚鳥類の畜養売買禁止となり、これには大きな痛手を受けたと思われますが、温和で豊かな生涯であったといえるでしょう。享保十七年(1732年)八十三歳で死去。遺骨は築地本願寺内の成勝寺に納められますが、同地は関東大震災の被災により、現在は世田谷区宮坂の伏見山成勝寺にあります。また、杉風の子孫である山口家は、栃木県の倭町で創業百年を越える老舗「ホテル鯉保」を開いており、同家の長女が女優の山口智子さんであるということです。
 最後に杉風と師芭蕉とのこまやかな心情のやりとりを伝えるものとして、芭蕉が最後に杉風に送った遺書をご紹介したいと思います。

 「杉風へ申し候。久々厚志、死後迄忘れ難く存じ候。不慮なる所にて相果て、御暇乞ひ致さざる段、互ひに存念、是非なき事に存じ候。弥俳諧御勉め候ひて、老後の御楽しみになさるべく候」

(杉風に申します。長い間親切な志をたまわりましたことを死んでも忘れません。思いがけない所で命果てることとなり、お別れを伝えに行けないことが、互いに心残りですが、仕方のないことだと思っています。あなたはこれからも俳諧に力を入れて、老後の楽しみになさってください)