仲買人、魚商に鑑札交付


 宝永五年(1708年)に仲買人および魚商に鑑札が交付されます。これは各問屋組合が発行する、いわば魚河岸公認の証といった性格のもので、行政上の鑑札ではありません。しかし、とくに仲買人についていえば、業種として認められたようなものですから、板船権の確定と併せて、問屋からの独立段階にあったといえるでしょう。

 鑑札は、札銭(登録料)として銭百文を組合に対して支払いました。百文がどのくらいの金額だったかというと、蕎麦が二八の十六文が相場です。でも、宝永年間に蕎麦切はなかったので、酒でみると、今でいう一級酒が一合二十文くらいだったといいますから、ちょっと奢った晩酌五日分ということで、たいして高い札銭ではなかったはずです。
 しかし、発行枚数をみると全部で八百六十八人となっており、これを問屋数で割れば、問屋一店あたり二・二人にしかならず、鑑札を受けた者は、仲買人、魚商の一部でしかなかったようです。

 さて、もともと問屋の「請下」として発生した仲買ですが、業種として独立するにあたって、それぞれの性格により、問屋請仲買、組合請仲買、脇店仲買という三つのかたちがあり、そこに階級的な差も生じていました。
 このうち問屋請仲買は、問屋の身内や使用人などが分店のかたちで出店したもので、仲買のなかでも権限が強く、のちに仲買専業店などもでてきます。組合請仲買とは、各組合がそれぞれの地域内に許可した仲買で、信頼のできる者を組合が雇い入れたものです。そして、脇店仲買というのは、文字通り市場外の店の仲買で、市場近隣に店を出して棒手ふり相手の商売をする、いわば零細仲買ともいえる存在ですが、うまい位置に店を出せばかなりの収入になったようです。