◎ はじめに

第一部  草創期の百年
天正十八年(1590年)〜貞享末(1688年)

 第一部では、伝承の時代からはじめて、魚河岸がどのように発生したか、そして発展していく過程で何があったのか。魚問屋のしくみや組合の結成、法式書の制定などとあわせてみていきたいと思います。

 ◎ 魚河岸の創始者 森一族
 ◎ 江戸の市街づくりと魚河岸のはじまり
  最初に来た者と後から来た者
 大和屋助五郎の活鯛流通システム
  魚問屋のしくみ
  魚河岸の発展と市場地域の拡大
 請下(仲買人)の発生
 魚会所と四組問屋の設立
  魚河岸古法式書
  新肴場の開市
  佃島の完成
  まとめ ―江戸の世相と魚河岸―

コラム 魚河岸ミステリー
 ◎ その1 森孫右衛門は二人いた?
 ◎ その2 魚河岸天正十八年成立説をめぐって
 ◎ その3 本小田原町に河岸はない
 ◎ その4 森一族と大和屋助五郎に対立はなかったのか
 ◎ その5 南小田原町と魚河岸の関係




第二部 繁栄期の百年
元禄元年(1689年)〜天明八年(1788年)


 消費文化の発展とともに町人が華美をきわめた元禄時代、需要増加と魚価の高騰で魚河岸はかつてないほどの繁盛をみます。「朝千両の商い」といわれ、金銀が乱れ飛んだという本船町、本小田原町界隈では、江戸で最も威勢の良い旦那衆らが我が世の春を謳歌するかにみえました。しかし、需要が高まり、魚が売れるほど、幕府への納魚は重い負担となり、産地からの仕入価格と城内への低価格納入のギャップをどう埋めるか、繁栄期ともいえる百年間を通じて魚河岸は腐心を続けていきます。

 元禄時代と魚河岸
 棒手ふりの朝
 買問屋と売問屋
 小田原町風がかっこいい
 初鰹 五両してもかまわぬ
 鯛と鯉の御用役
 芭蕉と杉山杉風
 洒落者、寶井其角の一生
 元禄大地震とその影響
 幕府の納魚助成
 板舟権の確定
 行政の横やりで右往左往
 本船町引払い願い
 船改めの強化で魚問屋定数が決まる
 仲買人、魚商に鑑札交付
 四組法式書
 納魚請負人制度(一)大和屋助五郎の栄光
 納魚請負人制度(二)大和屋助五郎と摂津系問屋との抗争
 納魚請負人制度(三)請負人制から直買制への移行
 まとめ ―納魚の変容―

コラム 大岡越前魚河岸政談
 ◎ その1 四組法式書の統一
 ◎ その2 仲買人どもに申し渡す!
 ◎ その3 言い方を間違えた
 ◎ その4 魚屋は鳥を売ってはならぬ
 ◎ その5 おイモ先生奮闘記
 ◎ その6 川浚いで魚河岸移転



第三部 衰退期の百年
寛政元年(1789年)〜明治二十年(1887年)


 時代はめまぐるしく移ります。寛政の改革による諸事倹約令の後、化政文化が爛熟の花を咲かせますが、打ち続く飢饉や打ちこわしなどの社会不安の増大、さらに黒船来航をきっかけとして物情騒然のなかに、二百六十年余にわたって続いた江戸幕府は崩壊します。この時期、魚河岸もまた動乱のさなかにありました。幕府の庇護の下で安定した商売を続けてきた魚河岸に、長年にわたって内包されてきた様々の矛盾が、社会変化によって顕在化してくるのです。そして、幕府瓦解によって後ろ盾を失った魚河岸は、その後どうなっていくのか。繁栄をきわめた時代とは対照的に、騒動をくり返しながら、次第に衰退の道をたどった百年間をみていきましょう。

 ◎田沼意次と松平定信

 
以下、只今、製作中です。

第四部 激動期の百年
明治二十一年(1888年)〜現在

 只今、製作中です。

おわりに

 只今、製作中です。

※このコンテンツを作成するにあたり、魚河岸研究の歴史的名著である
『魚河岸百年』 魚河岸百年編纂委員会 昭和43年 日刊食料新聞社刊
『日本橋魚市場の歴史』岡本信男・木戸憲成著 昭和60年 水産社刊 を
全面的に参照させていただきました。
 労作を著された先生方に敬意を表しますとともに、このページをお読みに
なり、魚河岸の歴史について興味を持たれた方であれば、ぜひ、この2冊をお読みいただくことをお薦めいたします。