ヤロウズ通信・第3号


 
来し方の道〜或る市場ジャーナリストの歩み〜

 

          あなたはこの世に出された使命を知らなければなりません。
     使命感に満ちた生活と行動、使命感に裏打ちされ、高揚された意志で世界を
       動かしてください。進むのです。意をうけ、目標をたて、日々励むのです。
           そのように生きるあなたの日々は全きものとなるのです。
                 (成ヶ澤宏之進『いのちの書』より)



 クルクルピュー
 クルクルピュー・・・
 編集長ったら、またやってる。口ヒゲつまんで、のばして、丸めて。そんなに気になるんだったら剃っちゃえばいいのに。はっきり言って似合わない。私、言ってあげようかな。ヒゲ似合ってませんよ、犯罪者に見えますよお。それにしても、いつまでやってるんだろう。私は知っているのだ。編集長が苦虫かみつぶした顔でヒゲをさわるのは、きっとイライラしている証拠。それか何かたくらんでるときに決まってる。くわばらくわばら。また残業言いつけられないうちに、早く校正終えとこ・・・やだ、目が合っちゃった。あ、こっち見てる・・・
 「おい、ユリカ!」
 は、はい・・・あーあ、何でこうなるのかな。他にも手の空いた人がいるだろうに。これで私、けっこう忙しいんだから。雑用ばっかだけど。えー、どのようなご用件で・・・ちょっと何よ。呼びつけておいて何も言わずにジロジロながめまわして。だいたい人のこと名前で呼ぶなんて、あなた、私の上司以上の関係じゃないんですからね! なんちゃって、前から言ってみたかったのよね。
 「神田のやっちゃば跡地の近くに総合調査研究所という出版社があるんだがな。そこの成ヶ澤社長は長いこと全国の市場を見てきた人だ・・・お前、ひとつこの人を取材して来い。」
 え、取材!? 私が!? 本当に!?・・・・・・行く行く! 行きます! 行きますとも!
 「おい、あわてるな。いきなり飛び出す奴があるか。お前だけじゃ心もとないからな。カメラマンのオカダをつけるぞ。おーい、オカちゃん。先生ンとこだ。この子をいっしょに連れてってやってくれ・・・ああ、たのんだ。いいかユリカ。くれぐれも失礼のないようにな。」

 おー、取材だ取材だーっ。やっと外に出られる。マスコミ業界にあこがれて水産新聞の記者になったのはいいけど、毎日タバコ臭い編集部にくすぶってばかりじゃね。やっぱり外に出なくちゃ。アクティブに行こう。いよいよ私の真価が発揮されるときが来たのよ。てゆうか、何も出版社の社長を訪ねるくらい、私ひとりで平気なのにな。ま、新人だから仕方ないか。
 「ユリカちゃん、はじめての取材だって。さすがにはりきってるねえ。」
 そりゃそうですよお。入社して丸2ヶ月ずうっと校正ばっかですもの。あ、ねえオカダさん。その、ナルガサワさんって、どんな方なんですかあ。
 「ナリガサワだよ。キミ、先生のこと全く知らないのかい。驚いたな。こんな初心者をいきなり送り込むなんて、ふん、編集長らしいや・・・ユリカちゃん、成ヶ澤先生はね、かれこれ50年あまりも市場業界と共に歩んでこられた方なんだ。食品流通関係の出版社をやってらっしゃるが、今でもご自身が全国を回って記事をお書きになる。市場ジャーナリストとしては僕たちの大先輩だし、この業界ではすでに伝説化された人なのだよ。」
 で・伝説の市場ジャーナリストォォォ!! おおっ、スッゲエ! そんな人に取材に行くなんて超カッコイイ! あ、でもやだ。どうしよう。おっかない人だったら。私、ちょっと自信ないかも・・・。


  成ヶ澤宏之進(なりがさわ こうのしん)
  1926年北海道網走生まれ。
  24歳で上京。日本市場新聞社、日刊食料新聞社編集局等を経て、
 
昭和35年に独立。椛麹調査研究所を設立。現代表取締役。主な著作に
 
『いのちの書』『軍事原論』『網走市稲富郷物語〜東部北海道開拓余話〜』
  などがある。
  現在は東京都国分寺市西・・・こ、こ、こい?

 「・・・恋ヶ窪です。」
 あ、すいません。えー、東京都国分寺市西恋ヶ窪にお住まいです・・・と。あの、これでマチガイないでしょうか。
 「ええ、良いでしょうね。これで。」
 ああ良かった。出来たじゃないの、取材。私の初仕事としては、まず合格点だろうな、うん。それにやだわ、オカダさんったら。伝説の人だなんて驚かすから。どんな恐ろしい人が現れるのかと思っちゃった。なあんだ、とってもやさしい方じゃないの。それに何てダンディなおじいさん・・・あ、おじいさんじゃ失礼か。素敵なオジサマ・・・。
 「おふた方はこの後の予定はいかがですか。ああ何もありませんか。今日はまあ、せっかくいらしたからね。これからちょっと場所を変えてね。ざっくばらんに参りましょう。ああ、オカダさん、いつものね、カラオケでも行きましょう。」
 「は、お供いたします!」
 え、カラオケ? 唄うの? この先生。やっぱド演歌とか? どっかスナックとか行くのかなあ。あれ? ちがう・・・おおっ、カラオケボックスに入ってくわ。ありゃりゃ、顔パスだあ。店員みんな敬礼してるよ、何かスゴーイッ・・・!!
 「えー、お二人とも好きな飲物と食べ物を注文してね・・・あ、そう。それじゃ注文ボタンを(ポン・ポン)、と。あの、ユリカさんね。あなたはどんなお歌が好きですか。」
えっ、あの、GLAYとか(って、分かるわけないわよね・・・)
「ああグレヰですか。あれはいいですね、活発で。それじゃ今日はね。ユリカさんの門出を祝してね、私が歌いましょう。曲はそうですね、"Little Lovebirds"が良いでしょう。」
 な、なな何? おおお、信じられない! 唄ってるよGLAY!! 何て言うか、すっごいシャウト。絶対イケテルよお! すっごい、先生、超スゴイーッ! イエーッ!
 ♪♪〜★♂◆℃◎∞$@☆¥£♀☆▼∋〒♯Ωθ◎∞♭§
 ♪♪〜◆℃☆◎@¥∞★♭£♀▼☆∞〒♯♂§Ωθ∋$◎

 「えー、ユリカさんね。アナタとても元気があって良いですね。アナタのような良い若い人がいれば市場もこれからが楽しみね。」
 え、あ、そんな・・・ははは。まあ、先生どうぞ一杯、ぐーっと。今日はもうブアーッと行きましょうよお。ブアーッと。キャハハハハハ!!!!


        弱い者

      力弱き者 このマチで生きられるか
      このマチは力のマチか
      弱き者ひしがれ 強き者たちまちぬきんでるこのマチのおそろしさ
      胸はって歩けるはただ強き者ども
      このマチは弱き者くるところでなし
      持つ人 持ち得る人の
      生きられるマチ
      弱き者食われ 強き者しげる
                            (成ヶ澤宏之進『東京地獄』より)


 あああ、自分のバカ笑いがまだ頭の中で渦巻いてるよお。もう私、完全にノックアウトだわ。軍歌からハードロックまで何でもござれの先生のペースに乗せられて、確かエヴァの"残酷な天使のテーゼ"をデュエットしたところまでは覚えてるんだけど・・・あれ? あの後、先生をお送りして、どうしたんだっけ?
 「僕がキミを送り届けてやったんじゃないか。」
 あ、オカダさん。そうでしたっけ? まさか、送りオオカミじゃないでしょうねえ?
 「バカなこと言っちゃ困るよ! 誰がキミみたいな子どもを・・・ああ、そうだユリカちゃん、編集長が呼んでるよ。」
 はいはい。あ、原稿のことだな。褒めてもらえるのかな。"ユリカ、素晴らしいぞ! 初めてにしてこれだけのものを書くとは!"なんてね。
 「ユリカ、一体これは何だ! 初めてにしてもヒドすぎる!」
 え!? そ、そんなあ・・・。
 「お前は何を取材してきたんだ、ええ。こんな略歴じみたもの書きやがって。だいたい何だ、"唄の大好きなオジサマ"ってえのは。お前の主観を書いてどうする! 自分の足下も見えないヒヨッ子のクセに! いいか、もっと相手に食らいつくんだ。腹ン中に飛び込んでいって本当の言葉を聞くんだよ。」
 ・・・・・・。
 「書き直してこい! 一語も余さず、すべて書き直して、もういちど持ってくるんだ!」
 ・・・・・・は、はい。
 「あ、ちょっと待て・・・お前、もしかしたら先生とカラオケ行ったか?」
 え? ええ・・・・・・。
 「そうか・・・いや、いいんだ。」

 はあ・・・。どうしたらいいんだろう。書き直そうにも何も覚えてないよお。メモもどっかに落としてきちゃったし。あああ、どうしようぅぅぅ・・・ぅ、と、そうだ! もういちど先生のところへ行けばいいんじゃない。なあんだカンタンなことじゃない。TELしよっと。ポピパピポペ・・・あ、総合調査研究所さんですか、成ヶ澤先生はいらっしゃいま・・・え、取材で、高知? あ、そうですか、どうも・・・。
 ぜえったいぜえつめーい!!! もーダメだ。どーにもなりません。無理ですぅ・・・・・。
 よーし! そうと決まったら、編集長にあやまって降ろしてもらおうっと! 
 「お、ユリカちゃん、アンタ宛に速達が来たよ!」
 あ、どうも。まあお手紙、お手紙。誰だろう・・・あ!!先生からだ!!
 何で何で何で! 昨日会ったばかりなのにぃ・・・あら、原稿が入ってるわ。
  「来し方の道」? なんだろう。えー、なになに・・・私は今日から高知の漁港へ取材に行きます・・・と

 ・・・何かとお話の足りない所もあるでしょうし、貴女も馴れない取材でもありましょう。
   私の経歴を「来し方の道」と題する小文に認めました。どうぞご参照下さい・・・

 せ、先生・・・・・・以心伝心とはこのことを言うのね。
 やったあ! これで書けるわ。ありがたい、ありがたい。さっそく読ませてもらおう。


              『来し方の道』―炉辺談話― 
                                    成ヶ澤宏之進

 うぶ声をあげたのは1926年、場所は北海道東部の網走。そこはオホーツク海から2粁ほど入った稔り豊かな農場と牧場、そして恵みの河、森と林の続く楽園であった。
 最初に歌った唄は、五歳のころの「夕焼け小焼け」であり、「あの町この町、日が暮れる」など。

 人生の悲哀を味わったのは十二歳の時に遭遇した祖母の死去。人とは何か、来世はあるのか、人はなぜ生まれ死ぬのか。弔いの僧を困らせた早熟の少年であった。

 六人兄弟の三番目、兄と姉がおり、自由な立場。我が処世の進路は自分で選べた。そして選んだ方向が、文筆で立つこと。精神の自由、自立。特に、親や兄弟の世話にならず、我が身の暮らしは我が腕で築くの心が強かった。それは、自らの力で暮らし遂げることの喜びを求めたからにほかならない。

 この世で価値あるものは、富よりも友。私の今日あるは、よき友の引き立てに負うところが少なくない。北海道に居た私の志をよく知っていた東京の友が、卸売市場の専門紙に記者として推薦してくれ、私の東京における記者活動が始まった。昭和二十七年二月。統制がとれ、戦後の自由な集荷と販売の始まった築地はじめ東京の水産青果各市場は、活気に溢れていた。品も、人も、ぶつかり合う強さであったが、そこにはほんとうの市場らしい活力がみなぎっていたものである。

  

 日本市場新聞社に一年、そして日刊食料新聞に移り、都氷販会社の中二階物置を借り、万年宿直の構えで、真夜中二時三時にセリの現場に出て、相場取りをし、上場主要品目の相場表をつくった駆け出し時代が懐かしい。
 月給一万円。そして、昭和三十年三月、丸三年かかって貯えた十五万円で都下国分寺に宅地十二坪、建物四帖半一間の家をつくった。独力でどこまでやれるか――私の生き方の実践版であった。

 生鮮食品専門の新聞社に職を得たのは偶然であったが、それは私の『食こそ生命なり』の信条にも合っており、その後、時事通信社ほかの一般紙から移籍の誘いがあっても辞退し、今日まで五十四年間、市場中心の報道にたずさわってきた理由でもある。いま一つは、市場の人々の裏表なき性格、キップのよさにひかれたのかも知れない・・・


 ふうん。先生って本当に市場とともに生きてらっしゃったのね。物置に寝起きしてたなんて、それで早朝のセリ相場を取るんだから、スゴイなあ。市場っていう大きな生物の身体のなかで生きている小さな生物。そういう魚いたわよね、ほらアレ。コバンザメ? あっと、そんなたとえは失礼か。あれ、そういえばさっき編集長も言ってたなあ。
  "腹ン中に飛び込んでいって本当の言葉を聞くんだよ"
 そおかあ、取材ってそういうものなのかなあ・・・(ユリカちゃん)・・・(ユリカちゃん)・・・
 「ユリカちゃんてば!」
 は、はい。ああオカダさん。どおしたんですか?
 「どうしたじゃないよ、ボヤッとして。キミ、編集長にこっぴどく叱られたんだって?」
 え、まあ、ヘヘヘ。ちょっと、ね。
 「でも太っ腹だよな編集長。いつまでかかってもいいから書き直せって言うんだろ。キミはすっかり見込まれたようだぜ。」
 へ? いや、そんなことないでしょ。だってもう、ケチョンケチョンですから、へい。
 「ところがそうじゃないんだな。だいいち、いきなり先生の所に取材に行かせるなんて、新人としちゃ破格の扱いなんだから。なんたって編集長にとって先生は特別の存在でね。同じ釜の飯を喰った仲間だし、それ以上に心の師匠といってもいいくらいなんだよ。」
 編集長の師匠? あ、そうか。先生は私たちの大先輩でしたものね。えっ、じゃあ編集長もせいぜい先生にしごかれたんでしょ。ふふふふ。
 「いや、編集長は、もとは全国紙の政治部にいたんだよ。なかなかの敏腕だったって話さ。それが取材先で先生と出会って、その仕事ぶりにすっかり心酔しちゃったんだな。さっさと大新聞社のポストを辞すと、先生を慕ってこの小さな業界新聞社に乗り込んできたってわけなんだ。」
 へええっ。そんなうそみたいな話ってあるんだあ。
 「だから言ったろ。伝説の人なんだって。編集長だけじゃないよ。あの先生を師と仰ぐ市場関係者は全国にたくさんいるんだよ。」
                                               (つづく)



 
 ヤロウズ通信第3号 2004年6月15日初版発行
                2004年6月20日2版発行
     発行所:ヤロウズ通信社 住所 中央区築地魚河岸のどこか
          責任編集:山田タイツ
          取材協力:成ヶ澤宏之進、椛麹調査研究所

   


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