ヤロウズ通信・第4号


 
来し方の道〜或る市場ジャーナリストの歩み〜(続)


 昭和51年、成ヶ澤氏のもとを一人の青年が訪ねた。岡部清と名乗るかれの手にはひと束の原稿が握られていた。新潟県の山奥のまた山奥、冬には雪深く埋まる土地で、炭焼き小屋にさし込む月の光の下で書かれた詩稿。いや、それは詩というにはあまりに素朴にすぎ、表現も稚拙なものであった。しかしそれを越えてなお、その言葉はすさまじいエネルギーを発散させていた。
 故郷を捨て離村していく仲間たちのなかにあって、岡部氏は山奥の村に踏みとどまることを決意する。しかし、家族を養うために毎年出稼ぎで収入の不足を補なわねばならない。身体をすり減らし、飯場のメシを食べて働く、その生活からしたたった滴のような詩篇。
 「私は岡部君の詩に惚れこんだ」――成ヶ澤氏は述懐する。「おそらく出版の機会に恵まれぬであろうかれの作品をなんとか世に出してあげたいと思った。」
"すべてを一任する"と託された原稿を氏はたんねんにより分け、誤字を直し、手を入れさえした。「詩になっていなければ、詩としてみなくともよい。底辺に生きる一人の労働者が書きとめた歴史の証言として、この内容は価値があろう。もちろん詩の改作の責は私にある。」
 岡部氏の作品集は『山奥のムラの証言』と題され、総合調査研究所より刊行された。派手な宣伝をしたわけではない。けれども、はじめはかすかに、やがてじわりじわりと作品集への確かな反響が返ってきた。そして、詩集としては異例の三版を重ねるロングセラーとなる。読売新聞では"おとう待つ春"という見出しで紹介記事を掲載し、"豪雪に押しつぶされ、出かせぎに追われる辺地農民の生きざま、怒り、悲しみ、のろいを、率直にうたいあげている"と岡部氏を称賛した。
 「すべては岡部君の詩の持つ強い力が成し遂げたこと。」そう語る成ヶ澤氏はまた「出版人冥利につきる」と胸をはった。


 「お、やってるな。」
 編集長ーッ、いつからそこにいらしたんですか。
 「さっきからな。あんまり熱心に書いているから声をかけなかった。まあ、どうやら土曜版に穴を開けずに済みそうな気配だな。オレの首もつながりそうだよ。その調子でガンガンやってくれ。」
 あのお・・・。ねえ、編集長って、以前に他の新聞社にいらしたんですか?
 「ああ、ずいぶん昔の話だけどな。」
 成ヶ澤先生を慕って市場にいらっしゃったって聞いたんですけど・・・本当なんですか。あの、良かったら聞かせてもらえませんか。
 「ふん、オカダの奴が何か言ったか。あの野郎、口が軽いったらねえな。他人のことをぺらぺらと。まあ、それも成さんの逸話にちがいないし。仕方ねえな。おい、ここに腰かけていいか・・・」

 あれはオレの駆け出し時代で、その頃のオレといったら大新聞の政治記者なんて肩書ぶら下げてイキがるチンピラさ。記事取りに夢中になって、そりゃ無茶な取材をしたもんだった。ある大物にしつこく食い下がって手酷くやられたこともある。口ヒゲの下にな、傷が残ってる。バカな勲章だ。無茶苦茶やったが、これで狙った相手は逃さないというのが信条だった。
 だがそんなオレでも一人だけ、どうにも手を出せない食わせ者がいてな。当時の農水相で「二枚貝の健蔵」と呼ばれる男、通称"ダマ健"だ。こいつはいったん口を閉ざすと、後はおだてようとすかそうと、もうダメだ。どんな質問にも薄ら笑い浮かべてダンマリ。あげくは木で鼻をくくったように「いや、ご苦労さん」とくる。オレはじめ記者クラブの連中はみんな奴には匙を投げていたもんだった。
 ところが、この"ダマ健"から記事を取ってきた奴がいる。しかも灯台下暗しというか、そいつはウチの新聞の政治面に二段抜きで談話記事を書きやがった。それも一週間ぶっ続けだ。オレは地団駄を踏んだね。誰だ、その野郎は。腹の虫がおさまらないから編集部に怒鳴りこんでやった。驚いたね。書いたのは成ヶ澤という男でウチの正規の記者じゃない。築地の新聞社で修行したという特約通信契約記者、いわば門外漢だ。そんな政治畑でもない、オレに言わせりゃ素人が、ちょいと日参しただけで、あの"ダマ健"から記事を取れるはずがない。オレはすぐにでもその男に会いたいと思った。一体どうやったのか、その秘密を聞き出したかったんだ。
 それで本人を訪ねてみた。成ヶ澤というのはどんなやり手だろう。ところが会ってみると、小柄の温和そうな人物でね、とくに印象的だったのは、その眼つきにジャーナリスト特有の険しさがないことだ。静かな眼とでもいったらいいかな。年嵩はずっと上なんだけど、オレのようなガキ相手にもていねいに答えてくれた。

 「実際に私も記事を取りに行きましたが、到底相手になりません。それで取材はスッパリあきらめました。しかし、人間ああ押し黙るのは何故か、それが知りたくなりましてね。あの人の行く先々に立ちましたよ。そうして毎日あの人の顔を見ていますと、表情のクセの微妙なところが判ってくる。眼をキョロキョロさせるとか、鼻をふくらますとか。するとそれが、おかしいことに私にうつってしまいましてね、あの人と対峙するときに思わず知らず相手の顔真似になっているんですね。それがよほど面白く映ったのでしょう。向こうの方からやって来て、何でも話してくれましたよ。」

 それ聞いて、オレはイスからころげそうになった。だが、先生さらにこう言うんだよ。

 「取材というのは相手の腹を探るよりも、相手のなかに自分を容れてもらう。その上で腹の底の言葉を聞くこと、つまり人間同士のつながりということでしょうか。」

 取材は人間付き合いだなんて、普通の奴が言えばたわ言みたいなもんだが、それが成ヶ澤さんの口から飛び出すと万語にも勝るというかな。とにかくオレには特別の啓示にきこえてしまったんだ。何かもう自分のやっていることがイヤになってね。いてもたってもおられなくなり新聞社を辞めてしまった。成さんに心酔したというよりも、イイ気になってる自分が急に恥ずかしくなって逃げ出してきたというのが正直なところだ。まあ、そのきっかけをつくったのは成さんだから、あの人の引きで市場新聞に入ったけどな。
 オレがあの人からもらったものは、言葉につくせないほど大きなものだ。たとえば物事の判断に迷ったときなど必ず成さんの顔が浮かぶよ。何か教えてくれるような気がするんだ。あの人はいつだってオレの目標でいてくれる。
 そして何より頭が下がるのは、今でもあの人は全国を飛び回って取材を続けていることだ。こんな通信手段の発達した時代に、依然として足で情報を集めてくる。取材は人間付き合いという信念を少しも変えやしない。そりゃ大変なことだよ。でも、全国各地にあの人を慕う人びとが、オレのように成さんを師と仰ぐ連中があちこちにいて、その要請に応じて出かけていくんだろうな。あんなジャーナリストはもう他のどこにもいやしない。


 一年の半分近くを旅装のうちに過ごす成ヶ澤氏。市場業界に身を置き、五十年あまりの取材に一体どれほどの道程を踏んできたのだろう。その歳月に想いをはせる時、ふいに氏はかつてのふるさとへの道をたどられる。若き日に後にしたふるさと網走の風景は今も氏を優しく迎えてくれるから。


  再び『来し方の道』より

 ふるさとの地は、豊かな海や湖をもち、また沃野と、つきせぬ自然の恵みがあった。私の幼年少年、そして青年期初期を過ごしたこの地の自然が、私の体と心を育んでくれた。私はこのふるさとの地の自然から多くのことを学んだ。自然は私の師であった。

 ふるさとの地で生きてきた老人のナゾ。私ら倭人が移住する前の網走は、アイヌの人びとの暮らす地であった。しかし、その前、千五百年以前の人びとはアイヌ人ではない。骨格も宗教も全く異なる異人種。このことは、最近になって次第に明らかになり、仮の名はモヨロ人と名づけられている。しかし、更にその先に、この地の主人として生活を営んでいた人びとがいた。それは網走湖底で見つかった八千年前の集落遺跡である。この人びとは何者なのか。日本列島の人種推移は、網走の地がモデルになっていそうである。

 そこには、自然のロマンと、人間のロマンの二つがある。確かなことは、真冬には零下三十五度にも下がる厳冬の地網走が、実は古代の人びとを多く養える海の幸、陸の幸に恵まれ、文明の広がりを支える住みよい豊かな地であった、ということである。

         


             真の名将は決して我が武功を語らない。
         逆に、部下の死を悲しみ、我が力足らざりしを恥じる。
       凡将や、未熟な将は、勝を逸した戦いを未練がましく弁じ、
       あの時、こうすれば勝てた、と為せなかった策を持ち出す。
     前者は己の内を見つめ、後者は責を外に転化し自分を弁護する。
                                   (成ヶ澤宏之進『道』より)


 私の人生遍歴の中で、書かでもがなのことを一つ。それは私の軍人世界とのかかわりである。
 終戦の年に、最後の現役軍人として歓呼の声と旗の波に送られて北海道旭川市にあった北部一七九部隊に入営した。第七師団の留守師団。一部本土防衛担当区域をもつ、師管区兵団であった。当時の気持は、郷土にある者も、兵営にある者も、国家の危機、民族の危機の追い詰められた心境。ひしひし迫る破滅を肌で感ずる日々。私自身も、我が生は十八年で幕を閉じるのか、その思いに満たされていたもの。そして八月十五日、全部隊が集合し、終戦の玉音放送をきいたあとの実感は、これで夜は終り、との思いであった。


 ・・・はあ。やっと書き直したわ。ずいぶんとかかっちゃったな。早く出さなくちゃ。
 でも・・・いいのかな、これで。本当にこれを出しても良いのか分からない。何か心もとない。あ、編集長。
 「ユリカ、出来たなら持って来い。」
 はい。あ、これです。
 ・・・今ごろ先生はどうしてらっしゃるかしら。もう高知からお帰りになってるのかな。今回はどんなお土産話を持ち帰ったのだろう・・・。
 「よし、これは預かっておこう。」
 え、あの、それで良いのですか。
 「良いと思えるように書き直したんだろう。」
 あの、はい。そうなんですけど、でも、何というか、もっと書き直したいような。本当にそれで良いのか全く判断できないんです。
 「ユリカ、記事とはそんなものだ。それでいい。お前の心が入っているということだ。だからそこで止めておけ。記事は記事だ。葛藤はお前がこれから持ち続けていけばいい。読者にあずけてはいけない。分かるかその意味が。」
 あ、はあ。分かります。そのお、文責てゆうか、ほらアレでしょ。何ですかあ? 
 やっぱ、分かりません。教えてください。
 「それはだな・・・いいや。まあ、そのうち分かるようになれば、な。」
 何よ歯切れの悪い。そうだ、あれ。どこにあるのかな、傷あと。どれ? ちょっとヒゲ邪魔よ。だから剃っちゃえばいいのに・・・
 「何、ジロジロ見てやがる。」
 へへ、何でもないですよお。ヒゲもまあ悪くないかもね。
 「ユリカちゃん、電話、電話! 成ヶ澤先生からだよ。」
 え! 本当! わあ先生だ、先生だ! もしもし、先生!? あ、先日はどうも、あの、原稿ありがとうございました。おかげで、はい、とても助かりました。それで、東京へはもうお戻りで? あ、ご無事で、何より。はあ? あ、今日ですか!? ええ、もちろん! まいります! 先日のカラオケボックス? あははは! そりゃもうよろこんで! 先生、ほら、あのSEX MACHINEGUNSの「みかんのうた」またリクエストしていいですかあ? もう最高! え? 何? ちょっ、先生ちょっと待ってくださいね。何ですか、編集長!?
 「おい、オレも行くからな!」
 はあ? どこへ?
 「カラオケだよ! 成さんと行くんだろ? 一人じめにするんじゃねえ。あの人とのカラオケならオレもいっしょについて行くぞ。」
 先生、何か編集長もいっしょに来たいってきかないんですけどお、連れていってもいいですかあ?あ、そうですか。編集長、いっしょに来てもいいって、よかったね! あ、先生、費用は全部オレが持つと本人が言ってますぅ!
 「ばかやろう! いいかげんにしろ!」

 こうして私は、はじめての取材をなんとか終えることができた。
  でもこれはゴールの見えない道への最初の一歩。それが先生への取材だったことはどんなに幸せなことだろう。それとともに、先生から受け取ったものの重ささえまだ知らない。私は何度も思い出すだろう。今日の日を。そして質問をくり返すだろう。私は何を書き残していけばいいのか。その答えをいつか手にする日のために、先生、どうかいつまでもご健勝でいらしてください。

 いつだって、私たちは先生を必要としているのですから。


 《主要著作紹介》

 食品流通経済  総合調査研究所 毎月一回十日刊行

 昭和35年の創刊以来、通巻480号を数える食品流通情報誌。
 現在の水産青果業界の抱える問題を取り上げる毎号の特集記事
 は、先生はじめとする所員が全国を足で取材してきたもの。
 業界誌の良心がここにある。



   いのちの書 昭和38年 文書堂書店刊
   
    "あらゆる宗教の上に立つ新宗教の教義であり、宇宙を大生命体
    と観じ、予定の律によって動いている無終無始への帰一なので 
    ある"と語るこの書は、世界に類を見ない超宗教を論じた一冊。
    著作第一作。


 市場人名鑑 昭和54年 総合調査研究所刊

 "打算を越えて世に送るこの書が、後世の人びとに昭和50年代
  の水産業界の息 吹を伝えてくれれば・・・"とはしがきにあるよう
  に、水産市場を人間という観点 から明らかにした珠玉の書。
  関係者一人一人に向けられた著者の的確であたたかな眼差し
  が、凡百の人名鑑とは一線を画したものにしている。


  軍事原論 平成9年 星雲社刊

   この書は軍事書にあって軍事書にあらず。その本質は人間論に
   あ
るだろう。したがって"孫子の兵法、クラウゼヴィッツの戦争論
   と並ぶ書"という帯書もむしろ的確とは言いがたい。軍事、戦争
   の根源を明らかにする本書は、従来の軍事書の到達し得なかっ
   た人の心の奥底までも描き出した人間論に他ならない。


  網走市稲富郷物語―東部北海道開拓余話―
        オホーツク叢書1 平成14年 オホーツク書房刊
  著者が青年期まで過ごされた網走市稲富郷への懐かしき回想を
  綴った書。 "私を育んでくれたふるさとへのささやかな贈り物"と述
  べるように、昭和初期の網走の豊かな自然と生き生きした人々の
  暮らしを思い入れを込めて描き出している。

 




 ヤロウズ通信第4号 2004年6月15日初版発行
               2004年6月20日2版発行
   発行所:ヤロウズ通信社 住所 中央区築地魚河岸のどこか
          責任編集:山田タイツ
         取材協力:成ヶ澤宏之進、椛麹調査研究所

   


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